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12月の掲示板に、「種蒔く人」「文芸戦線」を読む会で黒島伝治について報告したことを書きました。黒島の民衆主義の問題は、現在の私たちにとっても意外に根深い問題として残っているのではないか、そんな感じが払拭できません。同じことを繰り返しているのですが、自分としてはきちんと片付けたい気持ちがあります。これについて考えたことを述べさせてもらいたいと思います。その続きです。

 黒島の民衆主義の問題点は、吉本隆明の言うように民衆から遊離したということではなく、民衆の加害責任を問う視点を欠落させたことです。
 帝国の平和と自由を享受しているとき、帝国の内部にいる人間には帝国の抑圧、暴力は見えません。被害者としての他民族の視点から反照したときに自国の帝国主義は内部の人間に相対化できるものです。(内部矛盾を徹底的に弾圧し、また国外に転化して、国内問題を消去することで、平和で豊かで自由な社会の現出した80年代のバブル期は、帝国主義のひとつの表れだといえましょう。)そして、それが見えたとき、帝国主義的膨張を支える民衆=我々の欲望が問題となるはずです。
 ところが「民衆=善」という信仰は、帝国主義的膨張とは支配者の問題であり、民衆はその被害者に過ぎないということになります。「パルチザン・ウォルコフ」にはシベリアで略奪行為を働く民衆兵士の姿を語りながら、しかし彼らも権力によってそれを強いられている被害者なんだという思想が見えます。確かにそれは半面の真実だとは思います。しかしそうであっても「抑圧」をシベリアの民衆に暴行、略奪というかたちで転嫁した日本兵たちの、より弱者に向かった戦争犯罪の問題は看過しえないものです。暴行、略奪された被害者の側から言えば「民衆=被害者」という理由は、国内でしか通用しない理屈であることは言うまでもないことです。
 結果的に黒島は民衆の他民族に対する戦争犯罪の問題を物語の中から隠蔽してしまったといえます。なぜそうまでして黒島は民衆像を守ったのだろうかと考えると、自分も民衆の一員だという意識があったように、岸田秀風に言うならば民衆信仰が価値として彼の自我に組み込まれていたからです。それが民衆をリアルに見る目を黒島から奪ったのだと思います。結果的に黒島は日本の帝国主義戦争に対する批判的問題意識をもちながらも、民衆のナショナリズムの問題には踏み込めず、帝国主義とはたんに資本家の利己的な欲望によるものであって、民衆はその欲望の犠牲者にすぎないと、帝国主義に対するとらえ方を見誤らせることになりました。
 ただ誤解のないように言うならば、黒島を否定したいのではありません。私は戦前の軍国主義に傾斜していく中での黒島の帝国主義戦争批判を高く評価しています。水準の高いものであるために、逆にそれを貴重な反省材料として振り返る必要があると思うのです。この民衆主義と帝国主義観の誤りの問題は、一黒島の問題に留まらず、今日に至るまで日本人の思想的死角として私たちの歴史観とその延長としての現在を見誤る原因を作っていないかと思うのです。ヒューマニズムの限界でもあります。それは依然私たちを呪縛する、加藤典洋の言う「ねじれ」の問題です。戦死者たちへの追悼と日本の戦争犯罪の問題と、どちらかを取るとどちらかが否定されるという、この問題の本質には日本人が、とくに戦争を批判する側であった左翼の知識人がレーニンの「帝国主義論」などの外国文献によって歴史を理解してきただけで、実際に起こった事実として日本の帝国主戦争の問題をしっかり見据え、反省してこなかったということがあるのではないかと思うのです。
(なんて書くと批判したくなる人もいると思います。もし私の理解に誤解があればそれは素直に認めたいと思います。誤りについては教えていただければ幸いです。)

 

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