新学期が始まり、今年は3年生担当なのでスタートから忙しくしていました。4月も終わりになって、やっと軌道に乗ってきて一息ついている状況です。それでブログの方もご無沙汰していました。「試想」のカウンターもついに2000を越えましたね。黒木さんにはいつもご面倒をかけていますが、せっかくこういう場を与えていただいたので頑張って書いていこうと思います。
(承前)
もちろんこのように戦後の反戦平和教育の問題点を指摘したのは、戦後教育の無効性を言いたいためではありません。〈戦後〉の終焉期ではありましたが、そこに関わっていた者の一人として私自身の反省をこめて考察したものです。おそらく現場で、良心的な先生の一人ひとりはその教材の枠組みの限界を超えて多くのメッセージを生徒に向けて発したはずです。しかし、にもかかわらず、結果的にそのメッセージが生徒に届いたという実感を得ることができず、徒労感ばかり感じていた主な原因は、以上のような教材を支配する強烈な政治的な枠組みを見抜けなかったところにあると思います。
ところで戦争の悲惨さを訴えるという戦後の反戦平和教育が、〈戦後〉の終焉した新たな状況のなかで見直されていったかというと、そうではありませんでした。おそらく現場では新しい状況と平和教育の有効性に半信半疑になりながら、多くの良心的な先生はこれまでの教育を頑なに続け、有効性に決定的に疑いを持った人はやめてしまったのではないでしょうか。
しかし皮肉なことには、良心的な先生の意図に反して、湾岸戦争後、戦後の反戦教育はこれまで述べたように、有効性を失っていくどころか、体制によって積極的に利用され、ナショナリズムを補完してしまう危うい構造が既に存在するのです。
最初に述べたように、湾岸戦争が提起したのは、巧妙なメディア操作は、それまで教えられてきた「悲惨な戦争」のイメージをいとも簡単に裏切ることが可能だと言う問題です。もちろん戦争の「悲惨さ」はなくなったのではなくて隠蔽されているだけですが、しかしハイテク兵器によって「スマートに」武装された「流血のない」戦争に対して、私たちのイメージにある「悲惨さ」は巧妙かつ高度な情報操作に対する抑止力にはなりえません。今日、戦争の「悲惨さ」を語るということは、まずメディア・リテラシーの力を必要とし、映像によってリアルに擬装された「スマートな戦争」を批判的に捉え、その向こう側に隠されている真実を想像する力が必要とされるのです。
さらにどのような経緯と戦争全体の連関のなかででそのような「悲惨な」結果を招いたのかという歴史への批評性を失うと、戦争の「悲惨さ」を強調することが、「国民の共有体験」というかたちで国家のナショナリズムに回収されてしまう危険性を持っていることは述べたとおりです。(たとえば東京大空襲(反米)や満州(反露)からの引き揚げ体験などがいい例でしょう。)
それに加え、2001年9・11テロが、私たちの戦争観を大きく変えてしまったことは言うまでもありません。「戦争」という、軍隊と軍隊との武力衝突や地域紛争なような形態を越えて、暴力は日常に潜み不特定多数の人間を対象とした無差別テロ化しています。「テロ」という弱者の暴力は、戦争という非日常と平和という日常との境界、戦闘員と非戦闘員との境界を溶解させてしまったのです。
ですからテロという日常に潜む暴力を如何に解除していくかという問題となってくると、反戦平和の問題とは、戦争を起こさないためにどうするか、ではなく、人間世界の中に存在する暴力そのもの(その発生源としての憎悪の関係)を如何に解除するかという深い射程を必要とするようになってきました。そのためには戦争教材を読む場合も、現象面の悲惨さに留まるのではなく、戦争に限らず暴力というものがなぜ発生するのか、そして暴力の発生をどう防止するのか、暴力をどう解除していくのかという根源的、普遍的な視点、また歴史への思考が不可欠とされるような状況になったのです。
このように戦後の反戦平和教育が歴史的に有効期限を迎え、私たちは新たな段階を迎えていることを確認することは、文学教育のみならず平和教育に於ける緊急の課題だと思います。(続く)
〔高口〕