NHKテレビ番組「遙かなる絆」が終わりました。
二年間の中国留学の中で、娘の城戸久枝は、父の何がわかったのでしょうか。残留孤児としての苦難の道でしようか。
留学から帰った久枝はやがて就職、その五年後、ふと父を中国につれていくことを思い出します。父=残留孤児孫玉副(日本人名城戸幹)を牡丹江につれていくのは父の親友たちとの密かな約束でもありました。
その最終場面がまた印象的です。父は育った頭道河子村に行き、渡ってきた(逃げてきた)河をじっとみつめ涙ぐみます。幹にとってここがすべての始まりでした。母(淑琴)がどんなことがあってもこの子を育てるといってくれなければ幹のその後はなく、河に沈められていたはずでした。
このドラマは、前にも書きましたが、なかなか重い問題を背負っていますが、私が気になっていたのは、残してきた父や母に対して帰国した孤児たちはどうなんだろうという思いでした。このドラマでは、養母淑琴を思う幹の気持ちはたしかですし、演出者もそこをしっかり描いています。それぞれの深い遙かな絆によって結ばれていること、それは民族を超えた優しさ、愛というものでしようか。戦争という残酷の背後に、この遙かなる絆、優しさが書き込まれている点がすごいところだと思います。 二つの国家に引き裂かれ、揺さぶられた父幹に対して、自分は父の子であることを誇りだと娘久枝はいいます。それは、時代に翻弄されながらも絆を大切にし、感謝していきる生き様、特に養母淑琴に示す深い愛のなかに幹の人間性を認めたからでしよう。
はじめに娘は父の何がわかったのでしようか?といいました。実は、娘久枝がわかったのは、この絆の深さにもかかわらず日本に帰った父の悩みの深さでした。その悲しみの底でした。娘は、残留孤児としての本当の悲しみをそこに見たのであり、だからこそその運命の中で凛として生きる父を誇りに思い、自分もまた、父のたどった悲しい歴史の語り部の一人に今なろうと決意したのでした。
こうしてこのドラマは、娘の久枝が、子供を産んだら、父の物語を戦争の一つの記憶として我が子に語りたいと書き留められるところで終わります。ここがまたこのドラマの優れたところでもあると思います。あったことを逃げずに認め、語り継ぐこと、そうして歴史、戦争の記憶をアジアの人々と共有していくこと、こういう気の遠くなるような行為によってしか私たち日本人はあの戦争の罪から解放されることがないからです。(2009年05月末 前田角藏)
残留孤児をテーマにした NHK「遙かなる絆」が始まりました。もう二回目です。帰国した残留孤児孫玉副の娘が中国の吉林大学に留学して、父の過去を知っていくという形のドラマのようです。「大地の子」から14年もたっているのですね。
ところで、1972年、国交回復、84年、孤児支援センター設立とつづく孤児救済の事業のなかで、もう残留孤児の問題は、単に〈かわいそう〉だけではすまなくなってきているように思います。残留孤児が帰国して早い人は25年の月日がたっています。果たして帰国してきたのがよかったのか、どうか、支援は問題はないのかなど見えてきているからです。帰国者が子供を産み、育てる過程で残留孤児の問題は、思想的にも深化したのかどうか。中国では「日本鬼子」といわれ、日本では「残留孤児」といわれて、二つの国家によって引き裂かれて生きる、いきざるをえない残留孤児の人々に、果たして日本、日本人はどれほどの精神的支援をしてきたのかどうか。そしてこの点で、おおざっぱに言えば、政府も国民も、〈かわいそう〉とはいっても、それ以上の支援はしてこなかったというのが実情のようです。こまかなことはよくわかりません。しかし、残留孤児への冷たさの背後には、私たち日本人の底に流れているあの忌まわしい戦争の記憶から逃れたいという心理が働いているようです。早く処理して前に進みたいという心理です。実際、戦後の日本人は、忘れたいためにアメリカの方ばかり向いて生きてきたと思います。哲学者の鶴見俊輔氏はNHK「鶴見俊輔ーー戦後日本・人民の記憶」のなかで、安保に示された「人民の記憶」に期待しつつ、日本人は戦争のことは話していません、僕だってそうだといっています。占領時代、日本人は、あの戦争を語ることを禁止(検閲)されていましたが、日本人自身も、あの戦争のことは語るまい、語ったら罪になるという深いタブーの意識に侵犯されてきました。実際、たとえば帝国軍隊内ではかなりの自殺者があったはずですが、それも明らかにされていません。すべてふたをしてきたのです。汚いことをいえばいいとは思いません。しかし、あったことは真正面からつらいけど受け止めなければならないと思いますし、今回のドラマにそれを期待します。日本は民間人を捨てたのであり、遺骨さえ放置したままなのです。もっといえば、私たちは沖縄さえきって捨てたのです。日本の国家と国民は、こんな破廉恥さのなかにいます。これらはすべてはずかしいことです。しかし、すべてあったことです。あったことは、逃げずに、しっかりみつめなければ、信用されず、今はいいけど、中国が世界の中心になり、日本が没落したら、こういう国民を誰も助けてくれません。くれると思うのはリアリズム感ゼロに近い人です。そんなわけで、見捨てられないためにも、みつめなければならないと思います。自虐的と揶揄する発言がありますが、残念ながら自虐するほど日本人は自己を見つめ、いじめてなんかいません。この六十年間、ずっと。「靖国」一つだけとっても中国映画監督から指摘してもらうほかない哀れさのなかで生きてきました。こんな国民から早く卒業したいものです。「国家の品格」などとしゃれたこといって遊んでいる場合ではないのです。品格など明治以後日本人にはないのです。失ったのです。残念ながら。
ちょっと自虐的すぎますかね。 (2009年04月末月 前田角藏)
たまりにたまったビデオを整理していて、前からずっと気になっていた2月23日のNHKスペシャル「菜の花畑と銃弾」を再び見ました。その感想を書かせてもらいます。
この番組は、昨年8月 アフガニスタンで拉致され殺害された邦人被害者伊藤和也(31歳)さんの足跡を彼が生前記録していた五年間3000点の写真を軸に紹介した番組です。すでに承知かもしれませんが、この青年は、ペシャワール会に属してアフガニスタンで水路建設、井戸掘り、農業支援活動を展開、住民にはかなり信頼の厚かった青年です。かれの努力で不毛の大地に水が引かれ、菜種や芋が育ち、ケシ(麻薬になる)栽培しかできなかった村にも明るさがもたらされます。菜の花畑を駆けめぐる子供たちの笑顔がそれを象徴しています。しかし、アフガニスタンは今でも貧困の問題は克服されず、ゲリラ活動はなくなっていません。伊藤青年の非業の死をしって慟哭する住民の姿は、青年がどれだけ住民に深く愛されていたかを語るとともに、今のアフガンの深い闇を象徴しています。
オバマ政権はイラクからここへ戦力移動をはかろうとしていますが、戦力の増強がアフガンに平和をもたらすのか、それとも伊藤青年のような地道な農業支援活動の方が平和や幸せをもたらすのか答えは明らかだと思います。日本も無批判的にオバマ政権に追随する姿勢をとっていますがこれも情けない話です。しかし、ここでは政策批判をしようとしているわけではありません。そうではなくて、こんなすばらしい青年が日本にいるということについて考えたいのです。
伊藤青年は、「志望の動機」(2003・6・15)の一文で、アフガンに興味をもったのは9・11同時多発テロの時で、それまでは知らなかったこと、そしてそのアフガンはその後、あっという間にタリバンが制圧され、多国籍軍の支配する国家になったわけですが、この時、伊藤青年は、この「忘れ去られた国」に「農業支援」を通して「緑豊かな国に戻す」お手伝いがしたい、そしてそのお手伝いを通して「現地の人たちと一緒に成長していきたい」と考えたようです。彼は、自分は「関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまない」性格であるとも語っているからかなり思い詰めての「日本人ワーカー」希望であったのだろうと思います。それから五年、ライカを抱えた青年はアフガンの泥の中で生き、成果もだし、しかし、非業の最期を遂げたのでした。日本人の圧倒的多数の人が、一国主義的な上昇=価値、幸せ、生き甲斐とするアイデンティティの中で生きているとき、そしてそのアイデンティティが根底から奪われた青年たちが時には自暴自棄的な、とても弁護しようのない集団自殺などに自分たちを追い込んでいるまさにその時、この青年はそんな価値の枠組みを超えてはるかアフガンの土地で、自分のための上昇=出世ではなく、他の人のために働き、ともに「成長」する道を選択し、そして夢半ばで理不尽な殺害にあったのでした。たしかに、日本には、この伊藤青年のような人は多くいるし、私の近くでも多く見かけるようになりました。しかし、誇張していえば、鴎外の「舞姫」以来、日本の男たちは、一国主義的価値観のたこつぼから抜け出せず生きてきたのでした。そして、ここにいたってようやく、伊藤青年に見られるように、この「舞姫」以来からの負の壁を破ろうという動きが出始めているのです。ところが、メディアは、心の闇を抱え、不登校になり、死への連帯=〈集団自殺〉に向かう青年たちを多くとりあげることはあっても、伊藤青年のように国家の枠を超えて、国際的な、普遍的な価値の中で生きようとする脱近代日本人の魁のようなこのすばらしい青年たちは、あまり大きく取り上げません。何から何までこの国では内向きなのです。本当に伊藤青年のように民族を超えた他者のために、他者とともに生きる生き方こそ、国家は誇りとして語るべきではないかと思います。特攻隊の悲壮を語るのではなく、伊藤青年のような生き方をもっともっと誇る国家であってほしいものです。
さて、最後に、この番組では、まず、伊藤青年の実家が紹介されます。そこには、優しくて「笑顔」のステキな息子の遺影があります。父は、息子の生き方にたいして、それがたまたま死を遂げるという結末になったとしても息子の生き方に誇りを持ち、恨みも悔いも多く語りません。すべてを受け入れていられるようです。同じ年頃の子供を持つ私は、自分だったらこんな立派な親でいられるだろうか?など考えさせられます。この番組は、アフガンにどう関わるべきかの回答を暗示しているとともに、日本および日本人の近代、そして〈いま・ここ〉の自分のありようそのものを問う優れた番組であると思いました。(2009年04月 前田角藏 )