たまりにたまったビデオを整理していて、前からずっと気になっていた2月23日のNHKスペシャル「菜の花畑と銃弾」を再び見ました。その感想を書かせてもらいます。
この番組は、昨年8月 アフガニスタンで拉致され殺害された邦人被害者伊藤和也(31歳)さんの足跡を彼が生前記録していた五年間3000点の写真を軸に紹介した番組です。すでに承知かもしれませんが、この青年は、ペシャワール会に属してアフガニスタンで水路建設、井戸掘り、農業支援活動を展開、住民にはかなり信頼の厚かった青年です。かれの努力で不毛の大地に水が引かれ、菜種や芋が育ち、ケシ(麻薬になる)栽培しかできなかった村にも明るさがもたらされます。菜の花畑を駆けめぐる子供たちの笑顔がそれを象徴しています。しかし、アフガニスタンは今でも貧困の問題は克服されず、ゲリラ活動はなくなっていません。伊藤青年の非業の死をしって慟哭する住民の姿は、青年がどれだけ住民に深く愛されていたかを語るとともに、今のアフガンの深い闇を象徴しています。
オバマ政権はイラクからここへ戦力移動をはかろうとしていますが、戦力の増強がアフガンに平和をもたらすのか、それとも伊藤青年のような地道な農業支援活動の方が平和や幸せをもたらすのか答えは明らかだと思います。日本も無批判的にオバマ政権に追随する姿勢をとっていますがこれも情けない話です。しかし、ここでは政策批判をしようとしているわけではありません。そうではなくて、こんなすばらしい青年が日本にいるということについて考えたいのです。
伊藤青年は、「志望の動機」(2003・6・15)の一文で、アフガンに興味をもったのは9・11同時多発テロの時で、それまでは知らなかったこと、そしてそのアフガンはその後、あっという間にタリバンが制圧され、多国籍軍の支配する国家になったわけですが、この時、伊藤青年は、この「忘れ去られた国」に「農業支援」を通して「緑豊かな国に戻す」お手伝いがしたい、そしてそのお手伝いを通して「現地の人たちと一緒に成長していきたい」と考えたようです。彼は、自分は「関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまない」性格であるとも語っているからかなり思い詰めての「日本人ワーカー」希望であったのだろうと思います。それから五年、ライカを抱えた青年はアフガンの泥の中で生き、成果もだし、しかし、非業の最期を遂げたのでした。日本人の圧倒的多数の人が、一国主義的な上昇=価値、幸せ、生き甲斐とするアイデンティティの中で生きているとき、そしてそのアイデンティティが根底から奪われた青年たちが時には自暴自棄的な、とても弁護しようのない集団自殺などに自分たちを追い込んでいるまさにその時、この青年はそんな価値の枠組みを超えてはるかアフガンの土地で、自分のための上昇=出世ではなく、他の人のために働き、ともに「成長」する道を選択し、そして夢半ばで理不尽な殺害にあったのでした。たしかに、日本には、この伊藤青年のような人は多くいるし、私の近くでも多く見かけるようになりました。しかし、誇張していえば、鴎外の「舞姫」以来、日本の男たちは、一国主義的価値観のたこつぼから抜け出せず生きてきたのでした。そして、ここにいたってようやく、伊藤青年に見られるように、この「舞姫」以来からの負の壁を破ろうという動きが出始めているのです。ところが、メディアは、心の闇を抱え、不登校になり、死への連帯=〈集団自殺〉に向かう青年たちを多くとりあげることはあっても、伊藤青年のように国家の枠を超えて、国際的な、普遍的な価値の中で生きようとする脱近代日本人の魁のようなこのすばらしい青年たちは、あまり大きく取り上げません。何から何までこの国では内向きなのです。本当に伊藤青年のように民族を超えた他者のために、他者とともに生きる生き方こそ、国家は誇りとして語るべきではないかと思います。特攻隊の悲壮を語るのではなく、伊藤青年のような生き方をもっともっと誇る国家であってほしいものです。
さて、最後に、この番組では、まず、伊藤青年の実家が紹介されます。そこには、優しくて「笑顔」のステキな息子の遺影があります。父は、息子の生き方にたいして、それがたまたま死を遂げるという結末になったとしても息子の生き方に誇りを持ち、恨みも悔いも多く語りません。すべてを受け入れていられるようです。同じ年頃の子供を持つ私は、自分だったらこんな立派な親でいられるだろうか?など考えさせられます。この番組は、アフガンにどう関わるべきかの回答を暗示しているとともに、日本および日本人の近代、そして〈いま・ここ〉の自分のありようそのものを問う優れた番組であると思いました。(2009年04月 前田角藏 )