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人から進められていたのにアカデミー賞をとってからみました。大変感動しました。最後は涙が止まらなかったですね。どうしてあんなに泣いたのだろう・?? 泣くことは何も恥ずかしいことではないけど。
 映画は、冒頭、深い霧の中から主人公の仕事に向かう車の姿を追い、しだいにその姿が観客に鮮明になるという場面からはじまります。主人公大悟(納棺師)はふとした偶然で納棺師になり、妻にも仕事の細かなことはいわずに二ヶ月がもうたったという設定です。実は本当はチョロ奏者でプロなのですが楽団がやっていけず解散になり、こまった大悟は妻美香と実家の山形に帰ってきて、とりあえずありついだのがこの仕事だったわけです。父は喫茶店を開き、クラッシック音楽にも興味があり、チョロ奏者は父の夢でもあったはずです。ところがその父は女を作って逃げ、少年との石文の約束を反故にしました。少年は父を一方で憎みつつ、父の夢の中で生き続け、しかし、解雇にあったわけで、根底的なアイデンティティ喪失に陥ったはずです。しかし、妻の支えがあり山形に戻り、やっと納棺師の仕事にありつき、まだ、二ヶ月というところでした。生き方に確信がもてるはずがありません。そして、このアイデンティティに揺れる心の葛藤、闇が冒頭の霧の場面だったわけです。ですから冒頭の場面は、全く見事な演出であったわけです。観客はこの青年のプレヒストリーはしりません。
 さて、二ヶ月後、大悟は納棺師の仕事に目覚めていきます。死者を暖かく送り出す仕事の意味をつかみ取り、失ったアイデンティティを取り戻していきます。しかし、この仕事は妻にも汚いからさわらないでといわれ、友達からも汚い職業についたとして相手にされません。この映画の唯一の難点は上にも述べたような社会的にまだまだ蔑視されている仕事にあまり葛藤もなく主人公がはいりこんでいるところです。死者への旅立ちのお手伝いという職業の意義、意味に光りが当てられすぎ、今も被っているこの職業の差別の側面へのまなざしがあるにはあるが主人公の内面の葛藤を通して描かれていない点があります。それが不満です。ただ、その弱さがありながらも死者の旅立ちに心から尽くす主人公の凛としたまっすぐな姿がその弱さを相殺しているのも事実です。納棺師の仕事の意味、意義をアピールすることで、結果としてこの仕事への差別や無知の視線と戦っているのだといえるかもしれません。
 そんなこともあり、この映画で私が泣いたのは、たぶん自分を捨てた父を憎むことでしか生きられなかった主人公の心の不幸が、父の死の旅立ちに立ち会うことで解き放たれていったからだと思います。すくなくとも、最後になって父に自分は一方的に捨てられたのではないかという惨めな思いから解放され、好きだった父を確認し、許すというところが何とも哀しく切なく、たぶん泣いたのだろうと思います。石文の演出はちょつとできすぎの印象はありますが、また、女と逃げた父はどうやらすぐ女に逃げられ一人でひっそり生きていたらしいというのも、ちょつと主人公の気持ちを軽くしているにしてもやりすぎかなと思ったりしますが、それでも、誠実な主人公のイメージが大いに関わっていてそれほど違和感がありません。映画における役者の役割の大きさを改めて感じました。また、音の流れ(音楽)もすべて和解、許し、癒しへといざなう仕掛けになっていて、チョロの響きもよくマッチしていたといえるかなと思います。いい映画でした。
 追伸 大悟を音大にあげた母の哀しい物語は観客の想像する領域として残されています。こういういろいろ想像させるところがあることによって名作にもなっていると思います。いい映画ありがとうございました。(2009年03月    前田角藏)

 

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