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60歳になってブレークするなんてちょつとおもしろい。たしかに歌は抜群にうまいし、川の流れのようになどはひばりよりいいのではないかとおもうほど。うまいしあじがあります。僕はそれより少し年とってるけど、こんなうまい人にであったことがない。それほどすごい歌手ですね。「愛のままで」がいいし、同年配の人はみんな歌詞がいいともう夢中で、それは何か秋元順子現象といってもよいほどだ。簡単にいうと熟年夫婦応援歌という感じですね。かつて石川淳は「マルスの歌」を書き、戦争をたたえるマルスの歌声を書き留めたことがありますが、今は、この熟年愛歌が聞こえてくるようです。

「小鳥たちは何を騒ぐの 甘い果実が欲しいのですか 他人(だれ)かと比較(くら)べる幸せなんていらない あなたの視線が愛(いと)しくあれば」

「ああ この世に生まれ巡り逢う奇跡 すべての偶然があなたへとつづく そう生きてる限りときめきをなげかけて 愛が愛のままで終わるように」

「ああ生きてる意味を求めたりしない ただあなたの愛につつまれながら そうキャンドルの灯(ひ)がいつか消える時まで
愛が愛のままでつづくように」 

 愛の視線やことばやささやきがあればいいというのは、今はやりの女の脳の構造からかもしれず、男はそれがわからず、せっせと獲物(金、地位)を運ぼうとして、哀しいことに嫌われ、別れますといわれる、いわゆる熟年離婚の悲劇。男と女の脳の構造の差異がわかっていれば、かなりおおくの夫婦の亀裂、悲しみ、苦悩、戦いつまり多くの不毛な男と女の戦いはへったことだろうと思ったりします。実際、「ああ この世に生まれ巡り逢う奇跡 すべての偶然があなたへとつづく」と思いたいけど思えなかったつらい日々など過ごした人も多いと思いますが、こんなせつないことももしかするとなかったかもしれません。 
 しかし、熟年夫婦の幸せって、男と女が二人だけの愛の視線やことばやささやきで自分の身辺を満たすことで自足するものでしょうか。もうこの歳になるとそんなことを考えます。それでは二人がかぎりなく社会から自閉していくことでしかないのではないか。情緒的ではなく真正面から考えると孤独死の道のような気がしてぞっとします。元気な時はいいんですがね。もちろん、熟年の男と女が二人だけの愛の視線やことばやささやきで生活空間を満たしてはいけないと思っているわけでもありません。共通の趣味などを持ちもっともっと愛を深めた方がいいと思っています。しかし、最終的に二人だけの単独的な閉じられた関係が果たして幸福といえるのかに疑問符があります。男も女も多様な人間関係の中に生きてこそ豊かなのではないか。夫婦の堅い愛を大切にしながらも、それを超えた多様、多層な人間関係、そのネットワークを作らなければこれからの高齢者社会を迎えることはできないのではないかと考えるからです。愛に特化しない関係の豊かさはそれこそ無限にありそうなきがします。男女の愛は数多くある幸せ、豊かさの大きなものだけど、それがなければ人生不幸かというとそれは違うようにも思えるのです。ところが、こう何か多様多層な人間関係というとすぐ不倫な関係を想像してしまうところがありますが、それはこれからの世の中ではなじまないのではないか、そういう意味では男も女ももっともっとお互いを信じることが必要で、だだ自分だけを向いていてというのはわがままでしかないのではないかと思います。自己中心的な愛の時代はとっくに終わっているような気がします。男も女も、二人に閉じるのではなく、もう少しいろいろな人との交流へと開いていく必要がありそうです。
秋元順子現象の中にちょつとそんな感じがするのは僕のひがみなのかな。どうもお粗末でした。(2009年03月  前田角藏)


 

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