この度、下澤勝井氏が中日出版社より「伊那谷五十景」を出版された。下澤氏はご存じのとおり、ながく新日文で活躍されていた作家で、評論もかかれ農民文学、プロレタリア文学にも精通されている。小田切秀雄門下の一人で、小生からすると大先輩にあたる。氏とは小田切先生の命日にはかならずお会いする。あたりのやらかい人であるが、思ったことはずばり指摘する熱血漢のところがあり、いつ自分にそれが向かってくるかびくびくしているところがある。
さて、この本は、信州飯田市にある「信州日報」に三年ほど掲載されたものを一冊にまとめられたもので、「掌の小説 伊那谷五十景」とあるように五十編の短編を集められたものである。五章から構成されており、一章 「ちょつと昔のはなし」、二章「ずっと昔のはなし」、三章「想い出の引き出し」、四章「そして近頃」、五章「谷間のひとたち」で、各章にはそれぞれ五から十二の小説が配置されている。
下澤氏は「あとがき」の中で「小説集とはなっているが、内容は限られた地域と時代の証言録、報告集」だと謙遜されている。しかし、本書に収められた小説は事実をそのまま記録したわけではなく、「より現実感を添えたいために、フィクションの力」が縦横に駆使されている。たしかに、ここに書かれた世界は氏が直接あるいは間接にみたもの、体験したことがベースとなっているだろうが、ここではそうした私小説性は余り感じられない。登場する人々は、なるほど戦前、戦中期、あるいは戦後の〈伊那谷台地〉にすんだり、通過したりした実在の人物だろうが、この小説ではそれぞれの歴史、風俗、生活を背負いつつ駆け抜けている。バリカンで半分だけ髪を刈られた少年も、かならず村にやってくる夫婦の「乞食」も〈伊那谷〉台地の貧しさとおおらかさと優しさといった普遍性をもって読者に迫ってくるのだ。それは、やはり氏の駆使している虚構の術によっていると思う。氏はここでは、戦前、戦中、戦後の〈伊那谷〉に生き、通過した人々を自分がみたり聞いたりした話として直接語るのではなく、退いた位置から一種の語り部として楽しそうに語りだしており、それは、ずっとずっと昔にあった昔話をいろりにあたりながら子どもたちに語るおじいさんのように、新しい近代(昭和)の 民話をやさしく、楽しそうに語っており、近代の語り部のようである。
この小説を読むと小生にもかってあった村の記憶がよみがえり、なんとなくうなづく場面に多く遭遇した。蚊に刺された動物の一部の肉(皮膚)がぴくぴくそこだけが動くといった描写にであったたりすると、自分の気分もはるか昔の昭和にワープしていくが、それらのことすべてが、本書における氏の語りのスタンスに負っているのだと思う。
印象に残った作品は多い。特に「つながり乞食」「山羊のいる風景」「バリカン物語」「軍馬・秋月」「井月の坂」がいい。氏の眼力の深さと優しさが如実に表されている。また、五章に配置された小説はどれも逸品であるが、「絵島幽閉」では、当地が大奥絵島事件で有名な絵島が幽閉されたところであったこと、「少年・西尾実」では、あの著名な国語教育学者西尾実の出身地であったことなど教えられ、その点でも、大変有意義な書物であった。(前田角藏)
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