「試想」の皆さん、早いもので、もう帰国の時となりました。六月十五日、福州から成田の直便で帰ります。一応、来年もやる予定になっています。
さて、四ヶ月の中国滞在で、何がわかったのか、見えたのか、正直、それはなかなか難しい。二月十日にここにきた時は、中国でも珍しいほどの寒さで、正直、困りました。もちろん、その後、温度はしだいに上がり、最近では夏日のような日もあります。南国宮崎の太陽に慣れた私ですが、やはりここの太陽も半端ではありません。ただ、この四ヶ月は、曇天ばかりの日がつづき、余り日光には恵まれませんでした。そんな気候の中で、救いは宮崎でみた花々がここにも多くあり、少し慰められたということでしょうか。ブーゲンビリア(三角梅)、ハイビスカス、珊瑚紫豆(サンゴシトウ)、コバノセンナ、トックリキワダ、ジャガランダなどですね。ジャガランダは宿舎の至誠学院の校内にあり、あの甘酸っぱい匂いはきっとジャガランダと前々から思っていたから花が咲くとやはり予想が当たってなんとなく幸せな気分になりました。その季節になると堀切峠を車で南下し、多分日本一きれいな日南の海の風景を眺めながら、南郷の道の駅にあるジャガランダを見に行ったことを思い出します。後、宮崎では高くて食べられないマンゴがやすく食べられるのもうれしかったですね。こちらではマンゴは街路樹としてあり、今、青い実が一杯ぶら下がっている。この光景がみられたのもうれしい。学生に尋ねると、このマンゴーとお店で売っているマンゴーとでは種類が違って、余り甘くないということでした。ただ、まあこんなわけで、この四ヶ月は、こちら固有の花や樹(よう樹 ガジュマルの一種で街路樹)につつまれながら、やはりそういう見たこともある花とであうのはほっとするものらしいですね。
ところで、私は、ここに来て福州で一番高い山である鼓山に六回登りました。世話になっている女子学生から、中国語が話せない先生はそんなに勝手にうろついてはだめですと止められていましたが、まあ自立して一人でバスにのり、何度もその山に行きました。ただ、恐いと言えば、このバスの中だけでなく、向こうから話してくるのが一番恐いしストレスでしたね。一度、バスの中で優しく会釈したらとたんにいろいろ話され、自分は中国語がわからない、自分は日本人ですと学生からレクチュアされた中国語で話したが通じず、冷や汗をかいたことがありましたが、まあ向こうから話さないで、と願いながら市中をうろついている有様ですが、ともかく、この鼓山は、市内が一望できるすばらしい山で、私は本格的な夏山の訓練もかねて何回も登りました。その途中で、いろいろな見慣れた花々に出会いましたが、とりわけ、山中で、ブーゲンビリアを見たのは驚きでした。もともと山に自生している花とは知らなかったものですから。
ああ、さてさて、肝腎の文学のことを少し、触れておきます。基本的には日本語の教育はかなり進んでいますが、文化、文学となると今一歩という感じですね。相変わらず決まり切った日本理解が横行しているようです。日本人はなにも好きで腹切りしているわけでもないのに、ここではそんな程度に思われているところもあります。日本人の日本語教師も中国人の日本語教師の方もいろいろこまかな指導をされていますが、刻みこまれた日本への固定観念はそうたやすく崩れないということでしょうか。時々、こんなに近いのにこんなに解り合えていないことに愕然としたりすることもあります。日本人への悪感情のない福州の人々ですが、日中の文化交流のさらなる深まりを願わずにはおられません。
私はこの四ヶ月、学生の前で、日本はこうですというようなことは出来るだけ避け、なるべく丁寧にテクストを読むことにつとめたました。どのような日本理解が彼らにあろうが、丁寧に読むことで、日本人、日本文化を知ってもらおうと思ったからです。その方が、深い相互の文化理解もはじまるだろうと期待してのことです。
この福州大学では、近代文学史も教えました。学生の中から、日本の近代化と自国の近代化あるいはその課題を考える学生が現れたりして、少しほっとしています。やはり漱石への関心は深いものがあります。漱石しか知らないといった理由だけではありません。まあ、学生は学生なりに自国の行く末に真剣に向かい合っているということですね。後、文学史を教えていて、確信したのは、これまで日本で自分等がやっている文学史の再検討、読みの新しい方法の模索の正しさですかね。これまで、外部、歴史を喪失した安直な一国主義的な自閉的文学研究が日本ではやはり大手を振ってきましたが、これでは外国では通用しないということですね。私たち「試想」の会の方向性は、たしかに、出版社などの営業妨害になろうかとは思いますが遠慮することなく、これまでの古い研究の無効性を徹底して明らかにし、おおいにこれまでの学問とその方法を批判しなければと思います。そんなことをますます確信いたしました。そして、そうした延長で、強く感じたのは、日本近代文学と中国との交流史、関係史の研究の必要性です。私たちは比較的韓国や台湾との研究者との共同研究なりシンポはおこなっていますが、中国とはあまりにも少ないというのが実情です。私も参加している社会文学会が少しやっているといったところですかね。この方面の共同研究も深めなければならないのではないかと思います。特に、竹内や武田と中国との関係、武者や啄木と周作人や魯迅などとの関係など魅力的な研究領域があり、この流域の研究が深まることを期待しています。(前田角藏)
PR