ちょつとしたいきさつで、宮崎日日新聞社主催の第19回宮崎出版文化賞の審査委員長になりました。そんなわけで、2008年度宮崎県在住の方の出版業績をトータルにみることができました。もちろん、八十点の中から文化部でセレクトされた十点ほどの本を読んで、いいものを表彰するというものですが、いい機会を与えられたと感謝しています。この新聞社は社会文学会宮崎大会でも大変お世話になった新聞社でかなり良質の新聞社です。その賞の中で、われわれ文学に関係する書物として「阿万鯱人作品集」が特別賞をとりました。ここで、みなさん、阿万鯱人という作家についてしらないでしようから、どんな作家か、すでに発表した文章を転載するかたちで紹介しておきます。
「阿万鯱人作品集」(2分冊全4巻) 阿万鯱人著 鉱脈社
周知の如く、阿万鯱人は、宮崎県が生んだ西日本を代表する作家で、2006(平成18)年4月、88歳でなくなっている。本作品集は、その阿万鯱人の60年に及ぶ作家活動を顕彰するべく上梓されたものである。作品集は全4巻からなり、本年5月、第1分冊(第1巻、第2巻)、10月、第2分冊(第3巻、第4巻)が阿万鯱人作品集刊行委員会によって鉱脈社から出版された。本作品集は小説30編からなるが、作品を発表順に並べたものではなく、テーマ別に並び替えて再構成するという工夫が施されている。第1巻「てびら台地の人々」には、「てびら台地」などの小説、第2巻「魂の故郷を求めて」には、「アンデルセン盆地」などの小説、第3巻「単独者の唄」には、「一人でもやっぱり村である」などの小説、第4巻「戦争と人間」には、「餃子」「蟹島」「彩雲」などの引き揚げ者系列の小説が配置されている。また、各巻にはかつて阿万鯱人と何らかの文学的交流があった文学者の力のこもった解説があり、これからの阿万文学研究の根本資料ともなっている。 阿万は、一時、地方の「農村作家」という評価をされていたようである。しかし、作品集としてまとめて並べてみると、こういう評価が揺らいでくる。「餃子」から「蟹島」「彩雲」へと続く流れの中には、日本人が早く忘れてしまいたい、消してしまいたい戦争の〈負〉の記憶、それも普通の記憶ではなく、引き揚げ途中に日本女性が陵辱されようともそれを傍観していきてしまったという罪の記憶として書き留められている。阿万は当時の引き揚げ経験者なら誰でも経験したであろう忌まわしい記憶を風化させることなく、むしろそれをトラウマのように抱えこんだ作家であった。そのため、彼の〈いま・ここ〉の幸せの世界はいつでも簡単に壊され、宙づりにあった。阿万はこの引き裂かれた生の構造と闘い、その闘いは語りの複雑な構造とともに、死ぬまで継続していた。とても乱暴な言い方になるが、日本の戦後の文学は、阿万が終生抱え込んだ課題をいち早く忘却し、第三の新人、内向の世代という都市・中央の都合のいい文学史へと組み換えられてきたが、阿万文学は、こうした戦後の文学史を大きく揺さぶっている。作品集の刊行の意義は大きく、重い。 (宮崎日々新聞 2009・3・6 掲載)
こう私は書きました。阿万鯱人がどういう作家か少しおわかりになったと思います。全国には我々が考えている文学史をゆさぶるような作家なりは数多くいるというのが、宮崎にきての私の確信で、まあこういうことはほうぼうで発言もしています。次回は、もう少し、「新しい村」と阿万のかかわりについて紹介します。
2009・3・9 前田 角藏
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