待ちに待った新田次郎原作の映画「剱岳 点の記」をみました。
何年か前に、三角点が剱岳頂上に設置され、GPSで標高をはかったところ、明治40年に陸軍参謀本部陸地測量部がはかった標高となんとほとんど違わなかったというニユースを聞いたことがあります。映画はこの明治40年、剱岳の初測量・初登頂にかけた男たちの物語です。
今でも「剱岳」はかなり危険な山で、かにの横ばいといわれる岩壁の渡りはたとえチェンがあったとしても下を見れば、四、五百メートルあるかどうかの絶壁で失神してしまうような難所です。当時は、むろんそんなものはなく、初登頂はどれほど大変なことだがわかります。陸軍参謀本部陸地測量部柴崎芳太郎のほか案内人宇治長治郎ら七人でこの頂上に挑んでいきます。この登頂・測量には陸軍の威信がかかっており、日本山岳会に遅れをとってはならず、また、地元の山岳信仰との戦いでもありました。周知のように立山は山岳信仰のメッカで、登頂などはもってのほかでした。この入ってはならない聖域に測量部と山岳会は挑んだことになります。メディアはどっちが早く登頂するかあおります。軍の精神力か山岳会の近代装備による勝利かというおひれをつけて騒ぎ立てます。両者はともに互いを意識しつつ、最終的には、威信とか初登頂という名誉などと無縁に仕事・・・人の生きる定点そのものを定める測量の仕事の意味に忠実にいきようとする・・をする柴崎の方が初登頂に成功しますが、映画は、初登頂競争よりも、お互いがお互いを認め合うところに力点をおいていて、たとえば、遅れをとった形の山岳部は、測量部に心からの祝福のエールを旗信号で伝え、また、測量部の方も、次に登頂した山岳会におごることなく、心からの祝福の旗信号を送ります。これはこの映画の感動的な場面の一つです。いのちをかける3000メートル級の山では、最初は競争していても、やがては、お互い尊敬し合い、助け合い、たたえあうという広い心、精神を育てていくものなのですね。
ところで、柴崎らは初登頂ではなく、1000年も前に修験者が登っていたという驚くべき事実にぶつかります。頂上には、あるはずのない修験者の錫杖が残されていたのでした。柴崎らは100キロ前後の三角点の標識も設置することができなかったし、また、こういうこともあり、陸軍は剱岳に挑戦した軍の足跡そのものも消そうとしたりします。しかし、小島鳥水ら山岳会は、彼らの登頂を初登頂として認め、記録したのでした。「点の記」はないけれども、柴崎らの業績はそうたたえられ、今日にまで伝えられたのでした。
映画はこの登頂にかけた群像をていねいに描いていて、映像も気をてらうようなものはなく、感じのいいものでした。柴崎という一人の男の物語に収斂することなく、多くの人によって成し遂げられた偉大な「剱岳」登頂をめぐる一つのドキュメントとして仕上げられています。大変好感のもてる映画です。
もう一度、剱に挑戦したいかって?いや、もう登りたくはありませんね。ただ、ぼっとコーヒーでも飲みながら近くであきるまで剱を眺めていたいな。もう一度。
(2009年06月 前田角藏)