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ずいぶんご無沙汰していました。今年は1年生の担任ということもあって、なかなか文学のことに集中できません。やっと「試想」も7号が出せて、ちょっと虚脱状態で、この夏は何もできませんでした。
 
 ところで新学期も始まり、今授業で原民喜の「夏の花」をやっています。授業が始まるとき、生徒に原爆がなぜ落ちたのか質問したら「戦争を終わらせるため」という答えが意外と多いのに驚きました。近年アメリカの犯罪性を告発するドラマやドキュメントが多いので、そういう影響を受けているかどうか関心があったのですが、結果、生徒の認識は「戦争を終わらせるため」で、だから「仕方なかった」という所謂戦後の原爆神話に依然留まっているのでした。
  そうは言っても生徒達が反米ナショナリズムに走っていいというわけではありません。原爆投下をめぐっては、まず第一に、戦後の東アジアの覇権をめぐる米ソのかけひきの中で、ソ連の参戦を阻止するために、アメリカによって使用された政治的かつ軍事的手段であったこと、そしてアメリカはこの科学兵器を最初に使用するに際して、兵器の威力を試すために民間人によって人体実験をしようとしたこと、それを決意させた根底にアジア人種に対する偏見があったことなど、日本との戦争を終結させるためのやむを得ない手段であったという神話は、一般には崩壊していると言えます。また日本政府にしても、戦争の終結を決断した契機は原爆ではなくソ連参戦であったこと、つまり国体護持のためであったことも明かです。
  そういうことを考えたとき、依然原爆神話にとどまっている生徒の意識は一体なんなんだろうと、こちらが戸惑いを感じてしまうのでした。その時、思わず話が脱線して日米安保のことに及んで、日本にアメリカ軍の基地があることに触れたとき、彼らはアメリカ軍の基地があるから日本は平和なので、日本に外国の軍隊の基地があることを少しも疑問に思わないし、それは戦争に負けたから仕方のないことで、むしろそれで日本は平和なのだからいいことなのではないか、と言うわけです。
 もちろん私も大人になるまでそう思っていたので、彼らのことを批判できる立場ではありません。ただ戦後の終焉が言われているとき、ましてや小泉-安倍といった反動政権の時代をくぐり抜けた生徒からすると、この変化のなさは一体なんなんだと、無気味にさえ思えるのです。
 大切なのは私の考えを受け入れてほしいということではなく、柔軟にいろいろな事実や考えを受け入れてほしいということです。しかし「試想」7号でも書いたのですが、問題なのは、現在のように状況が動いてくると、人は自己の世界観が脅かさたとき、自己の世界観を修正するのではなくむしろ現実を拒否するのだということです。授業をやっていて、最近そういう生徒の頑なさが目立ってきたように思います。――続く
(高口)

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