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 「夏の花」の最後は、妻の遺体を探し、原爆で即死した人々の死体の群れの一つ一つの顔を覗き込み広島の市街を歩きまわるNの話で締めくくられますが、読者にとってはそれは表情を奪われたモノ化した抽象的な死でしかありません。しかしNにとってそれは、妻を求めるために死者一人ひとりの表情と向き合っていく絶望的な彷徨にほかありません。そしてついに妻を見つけることのできなかったNが再び妻の女学校に戻るところで物語は閉じられます。もちろんそれは一度調べた女学校を念のためということではないでしょう。Nは大きな徒労感を抱えたまま、また女学校を調べ、そしてまた自宅に戻り、それから妻を捜して彷徨った道を再びたどり直すに違いありません。そして妻を捜す彷徨はいつまでも終わることがないのです。(この問題は「廃墟にて」につながっていきます)
 この「夏の花」の終わりには「究極の暴力」を前にした人間存在の空虚さが対照的に語られていますが、そこには何か大きく暗く深い喪失感が漂っています。その喪失感とは何でしょう。
 今日でも私たちはこの戦争を「民主主義とファシズムの戦争」と、戦争を政治的、あるいはイデオロギー的でもいいが、何か意味あるものとしてとらえようとしている。そこにはまだ戦争というものに対する幻想が存在します。しかし「私」が「銀色の虚無の広がり」の中に見たものは、そのような幻想がすべて剥ぎ取られたむき出しの暴力です。それと表裏して、最後にこの物語の終わりに漂うものは、人間が人間自身を滅亡させてしまうという究極の暴力を開放してしまった人間への絶望、人間信仰の崩壊ではなかったでしょうか。

 ところで最初に「夏の花」の「崩壊」の問題を時代状況との関連で考えて行こうと思った、なにかこれまでの原爆観に違和感を感じ始めたきっかけは、インターネットのウィキペディアの「日本本土空襲」というページを読んだときからでした。そこには日本本土空襲に関する年表と統計とが詳細にまとめられています。そこを見て異様なのが1945年の3月の東京大空襲を始まりとして8月までの5カ月間、日本の主要都市の空襲が止むことなく始まります。この非戦闘員を対象とした無差別攻撃による死者は23万人に上ります。そしてヒロシマ・ナガサキの死者を入れると57万人です。無差別大量殺人としての空襲との関連で考えた時、ヒロシマ・ナガサキの原爆とは特別な出来事ではなく、この無差別大量殺人の発想の一環なのです。それに並行して戦場と化した沖縄戦での一般市民の死者を加えると67万人になります。(もちろん大陸では日本人はこれと逆のことを行っているのですが、その問題はここで措きます)
 なぜこのような結果を招いたのか、「戦争は悲惨だ」などという大雑把な考えだとこの1945年の問題は見えなくなります。前にも書いたように1944年までと45年では戦争が大きく質的に異なります。67万人という非戦闘員が無抵抗に虐殺されていきながらも戦争が終結しない「1945年」が投げかける問題は、戦争遂行能力を失ったにも関わらず戦争を終結させることの出来ない日本の戦争指導者の判断力の欠如です。自己の保身のためだけに67万人の死を何とも思わず「本土決戦」「一億玉砕」を唱えることは狂気以外のなにものでもありません。
 それと同時に、もはや戦闘能力を欠如させた敵に対して、ついには無差別に67万もの無抵抗な人間の虐殺を遂行するアメリカを囚えていたのもまさに狂気でしょう。
 つまり1945年の日本の戦争のどこにも政治など存在しないのです。そこにあるのは自己目的化した虐殺という剥き出しの暴力であり、エスカレートして正常な判断力を失い、自らの保身のために国家を滅亡の淵にまで追いつめてしまった愚劣な狂気以外のなにものでもありません。そういう意味で糾弾されるべきはアウシュビッツだけではないのです。(すみません。まだ続きます)
(高口)
 
 

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