ところで、前回の丸山評価とは矛盾したことになるのですが、今回久々に「「である」ことと「する」こと」の授業をしながら、時代が変わったなと思うことがありました。丸山の思想を語りながら、自分の歯切れの悪さに気づいたことがきっかけでした。
ふと気づいたのは、最初の「権利の上に眠る者」という小見出しが示しているように、丸山のメッセージは自由や権利を既に獲得した者、言わば日本国憲法の恩恵の下にある日本人に向けて発せられたもので、その内部では今でも説得力を持つのですが、一歩でもそこから外れたところに立たされている在日外国人の生徒、いまだ権利や自由を保障されていない彼らにとって、丸山の主張は空疎な話にすぎないと言うことに気づいたのです。「そんなこと言っても、二十歳になっても俺たち参政権がないんだから関係ねえもん」と言われてしまえば、こっちは口をつぐむしかありません。いつそう言われるか、冷や冷やしながら授業を終えました。少数ではありながら在日外国人の生徒が共に学ぶということがごく普通の状況になってきた現在を考えると、現在かなり多くの教科書に収録されている(評論第一位だそうです)「「である」ことと「する」こと」を手放しに評価することはできないと思いました。
「「である」ことと「する」こと」は言うまでもなく「日本の思想」に収録された文章で、1961年に発行された「日本の思想」が前年の安保・三池闘争を背景に書かれたことは明瞭です。丸山はこのメッセージを戦後最大の民主化闘争を闘った日本人に向けて発したわけで、歴史的なコンテクストを念頭に置かないと、現在の読者にはわかりにくい表現が随所に見られます。
ところで中野敏男が『大塚久雄と丸山眞男――動員、主体、戦争責任』(青土社, 2001年) で、戦中期の丸山の論文を細かに検証し、戦中期の丸山の思想が国家の危機的状況に於いて、国家を主体的に支える近代人の必要性を啓蒙的に力説する「国民総動員の思想」であり、丸山がその出自を隠蔽し、思想構造を変化させることなく戦後にスライドしたことを痛烈に批判したことは記憶に新しいです。そういう意味で捉えると「「である」ことと「する」こと」も、60年の安保闘争という民主主義の危機に際して、戦前のような日本にならないために日本国憲法の論理を内面化した民主的〈主体〉たれ、というメッセージを発している点、その思想構造は戦時中を反復していると言えるでしょう。
もちろん前回述べたように、丸山の思想は現在に於いても意味を持ちうるし高く評価できるのですが、同時に中野が指摘するようにその歴史的限界をしっかり押さえていかねば、今回授業で感じたように、うっかりすると暴力にも転じかねない危険性を持っているように思います。と言うのも、やはり丸山の視野に入っているのは日本国憲法の論理を共有できる〈われわれ〉であって、国家によって外部化された人々は見えていないのです。 丸山の民主主義は、中野の批判する戦時中の「国民総動員の思想」の枠組みが反省されずに戦後にスライドされた結果、国民国家のために単一の価値を共有した〈主体〉を「動員」するというナショナリズムの枠組みが温存されてしまっているのです。そのために今回のように授業で在日外国人の生徒を前にすると、その排他性が明瞭に浮かび出てしまうことになるのです。少なくとも「「である」ことと「する」こと」時点で丸山の構想していた民主主義は、異質な価値を持った人々の共生できる制度としての民主主義ではなかったと言えます。
ところで丸山を戦後日本を代表する民主主義者として賞賛してきたこと(それが今日、教科書への収録数が最も多い評論という結果につながっているわけですが)と、戦後日本の民主主義の限界と表裏の関係にあるように思います。中野敏男の丸山批判は、戦前の天皇制国家の「臣民」が革命も経ずに戦後一転して民主主義国家の「国民」へと容易にスライドすることができた日本人の問題にも関わってくるからです。
丸山の思想がひとつの理想として疑われることがなかったように、戦後日本の民主主義は「国民は平等」という理念を内面化した、均質な主体によって構築された民主主義だったと言えると思います。そういう意味では、1925年の普通選挙法は昭和のファシズムの呼び水にもなりましたが、中野の丸山批判同様に、構造的には戦前と戦後の民主主義の質は連続していたと考えられるのです。(もちろん戦後民主主義を全否定するつもりはありませんが。)だから日本国民は戦後すぐにアメリカによってもたらされた民主主義に対応できたし、均質な「国民」の一致団結によって、わずか四半世紀で再び世界の経済大国として復活するという奇跡が可能だったわけです。そう考えると均質な国民によって構成された――言い換えればナショナリズムを基調とした民主主義社会というものは、容易にファシズムに反転する危険性をつねに抱えているとも言えます。戦後が「輝いて」いた高度成長期やバブル経済期への今日の郷愁は、ファシズムを待望する感性と通底しているのではないでしょうか。「民主主義」が「輝いて」いたその時代、その社会は在日外国人やハンセン病者たちマイノリティーにとって、強度の排他性を持った社会であったことは忘れてはならないと思います。
「「である」ことと「する」こと」という教材も、その「物神化」を「不断に警戒」し「現実のはたらき方を絶えず監視し批判する姿勢」が必要で――結局、丸山に戻ってくるのですが(笑)、本当に戦後日本の民主主義も一つの岐路に来ていることを実感しているところです。(結局お釈迦様の掌の内側で、ぶつくさ言っているに過ぎないのかな?) (高口)