2001年のニューヨークの9・11テロ以降、21世紀の世界情勢は非常に混沌としたものになってきました。こんなに世界は騒然としてきているのに「反戦平和教育」というと、現在「死語」のようになってしまっている観があります。
ところで授業で戦争教材を取り上げて生徒に感想を求めると、毎回「戦争は悲惨だ」「二度と繰り返してはならない」「こんな時代に生まれなくてよかった」と言った、判で押したようなコメントしか出てきません。なにかこちらの気持ちだけが空回りして後味の悪い結果だけが残って終わります。多くの教育現場で私のような徒労感を感じている人はたくさんいると思います。これは教壇に立つようになって以来、ずっと感じてきたことですが、私の怠慢で問題を何も掘り下げず今日まで来てしまいました。しかしその反面、状況は大きく変わっていきました。
私が教職についたのは1980年代中頃の、バブル景気の真っ直中です。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本と言葉が流行したように、日本の「平和」と「繁栄」を招いた戦後体制の完成期として、日本人が〈戦後〉に自信を持っていた時期だったといえます。ですから平和教育の問題をめぐっても、私が70年代に受けた教育をそのまま生徒にしても、そのことに特別懐疑するということもありませんでした。
そのような状況が変わっていくのが90年前後です。米ソの冷戦体制の崩壊と日本のバブル崩壊とが前後して、1991年には湾岸戦争が起こりました。2001年の9・11テロですっかり記憶の彼方になってしまいましたが、私にとっては91年の湾岸戦争は旧来の戦争観を覆す大変衝撃的な出来事でした。
戦後、巧妙な情報統制が敷かれたことを私たちは知ることになりますが、湾岸戦争が行われているとき、テレビ報道を見ていた私(「たち」と言ってもよいと思います)は、「敵地」のバグダットからテレビ中継されたり、ミサイルに小型カメラが搭載されて目標の軍事施設に正確に命中する様子を見て、テレビに映し出された戦争像が、私たちのイメージにある戦争とはずいぶん違っているのに戸惑いを感じたのでした。なによりテレビの映し出される、ハイテク機器のオンパレードのような〈戦争〉は、私の中にある、そして私が授業で教えている戦争像とは違って、ちっとも「悲惨」ではなかったのです。
それまでなぜ戦争はいけないのかと、親たちから教えられてきたか、そして私が生徒に教えてきたかというと、それは戦争は「悲惨」だったからです。しかし、建築物など破壊されるにしても、目の前で流血のない「悲惨」ではない戦争が行われている。このことはそれまで教えてきた戦争批判の根拠を大きく揺るがせてしまうわけです。
もちろんアフガン、イラク戦争で一般市民を巻き添えにして多くの犠牲者が出たことは言うまでもありません。しかしそのような戦争の〈現実〉はメディアによって巧妙に隠蔽されてしまっています。今日戦争批判するということは、メディアの報道する「見える事実」に批判的に向き合い、その向こう側を想像するという困難を要求されているのです。
また当時、湾岸戦争が生徒にどのように映っているのか、戸惑いの感覚をもったまま授業で訊いてみました。バブル崩壊前夜でしたが、その予兆はなんとなく感じていましたから、今回のような戦争をすることで現在の景気が維持されるとすると、する方を選ぶか、それとも生活水準は下がるにしても平和な社会を選ぶか、何人かに意見を聞いた後、どっちを選ぶか手を挙げてみさせたのです。(そこには戦争をするのは自衛隊の人たちだけで、という条件も付けました)そうしたら半数以上の生徒が戦争賛成に手を挙げました。当時の高校生(現在の30代半ばの人達)にとってすでに戦争は絶対悪ではなくなっていたのは大変な驚きでした。(続く)
〔高口智史〕