忍者ブログ
試想の会のブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『試想』の会同人のブログです。 落ち着いたところで、久しぶりにブログでもと思ったのですが、頭のなかが空っぽの状態です。かわりに、先日(8日)に「種蒔く人」「文芸戦線」を読む会に呼ばれて、黒島伝治のシベリア物をめぐって話をし、そのまとめを書く機会がありましたので、そのまとめに加筆したものを載せたいと思いました。(おおよその内容は「試想」4号の「渦巻ける烏の群」論と重複することをお断りします)


日本の反戦文学の多くは、軍隊内部の抑圧構造を問題化できても日本の帝国侵略を被害者側から捉えることができず、帝国主義侵略戦争を問題化できなかった。対軍隊に対する被害者としての自分を描くことはできても、侵略されるアジアの民衆にとっての加害者としての自分を描くことができなかったのである。そのために戦後日本の反戦文学は反軍小説、反核小説、厭戦小説はあったにしても、日本の帝国主義侵略戦争の問題と正面から向き合ったとは言えない。
 それに対し、今日でも黒島伝治の反戦文学作品が重要なのは、「橇」(1927)や「パルチザン・ウォルコフ」(28)などの作品で、日本軍に侵略されるロシア人側の視点からシベリア干渉戦争を捉えたという点なのである。今日では常識化した方法のように思えるかもしれないが、「橇」でシベリアに連れてこられた下層日本兵士と、日本軍の部隊の移動のために橇を徴収されるロシア人と、双方からの視点で戦争を捉えたことは、たんに技巧的な問題と片づけられないものがあると思う。反戦文学の多くが侵略戦争を被害者側から捉えることができなかったのは、作家が自身に内面化されたナショナリズムに無自覚だったためである。逆に、黒島に侵略されるロシア人の視点を取り入れることが方法的に可能だったのは、ナショナリズムを超える視点を彼が持ち得たためだと言えるだろう。その契機として「反戦文学論」(29)に明らかなように、たしかに当時のプロレタリア国際主義の影響を無視することはできない。しかし「橇」や「パルチザン・ウォルコフ」がそのような公式主義的を免れているのは、作者に侵略されるロシア民衆の側に立ってリアルな視点で戦争を捉える想像力と感性――あくまで民族を超えて民衆の側に立ってものを見るという作者の民衆主義という信念あってのことだと言える。
 それを踏まえ、次の、黒島の代表作「渦巻ける烏の群」(27)を読むと、ロシアを侵略する帝国日本軍の下で抑圧されたもの同士である日本人下層兵士とロシア人との交流を語り、革命と戦争で疲弊したシベリアの民衆の生活を克明に語りながらも、ロシア側の民衆の視点が物語のなかで空白化されている点は異様に思われる。物語のなかのロシア人の視点の空白が作者の認識の限界ならば、逆に我々はこれをそれだけの作品として素通りすることができるだろう。しかし「渦巻ける烏の群」には、下層の日本兵とロシア民衆との直接の交流が語られ、革命と戦争によって疲弊したロシアの民衆の生活を凝視する作者のまなざしを見て取ることができる。帝国日本の権力という共通の〈敵〉を前にして、日本とロシアの民衆の連帯の問題に一歩踏み込もうとする作者の意図を見ることができるのである。
 しかしその「踏み込み」は、戦地に於けるロシアの民衆と下層日本兵との関係を凝視することに繋がっていったろう。それはロシア民衆にとっては下層の日本兵といえども侵略者にすぎないという帝国主義戦争の持つ、関係の非対称性、抑圧の重層構造を、作者により深く認識させることになったと考えられる。上官の恣意によって一部隊が無謀にも吹雪の中を出発し、シベリア雪原で遭難全滅するという悲劇的結末も、ロシア民衆にとっては喜劇でしかない。そういう意味で日本兵とロシア民衆との間の非対称性を隠蔽することによって「渦巻ける烏の群」の日本兵の悲劇はなんとか成立した作品だった。皮肉なことに、帝国主義戦争の現実への認識の深まりが、「渦巻ける烏の群」でのロシア民衆の視点の空白を生み出したと考えられるのである。
 おそらく黒島は、その隠蔽を倫理的問題として自覚していたからこそ、「パルチザン・ウォルコフ」では逆に日本軍、そして日本兵の犯罪性を正面から問題にしなければならなかったのであろう。イワノフスカヤ村民虐殺事件(19・2)に取材したと思われる、日本軍によるパルチザンの村民虐殺という戦争犯罪に向き合ったこの物語は、日本の反戦文学の傑作と言える。(それゆえに日本の読者のナショナルな意識によって葬られてきた可能性はありえる)しかしそこでもなお、厭戦的に侵略戦争批判に目覚めていく一兵士を登場させざるをえなかったところに、黒島の民衆主義の限界があったと思われる。黒島は民衆が加害者になるという帝国主義戦争の抱えた矛盾の前で、彼の依拠する民衆に対する肯定的な視点(それは民衆信仰とも言うべきものだが)を手放すことができなかった。そしてその裏返しとして、権力者である上官はつねに「悪意」を持った存在として描かれねばならなかったのである。
 このように黒島には、関係を構造として捉える視点が欠落しているという問題があった。そして民衆は本質的に善意の存在で、それゆえに被害者で、抑圧-被抑圧の関係が、権力者の「悪意」の問題としてしか捉えられないということは、逆に民衆が自発的に戦争に協力するというナショナリズムの問題を批判の視点、さらには民衆が独裁体制を支えるというファシズム批判の視点を作者から欠落させることとなった。そしてこれは1930年代の日本の軍国主義台頭期に、ナショナリズム、ファシズム批判の有効な視点を持てず、急進的かつ観念的にプロレタリア国際主義という「理想」を唱えるしかないという事態を招き、黒島を時代のなかで孤立させる原因になったのである。(しかし「穴」(27)では朝鮮人に対する差別的な視点があり、「氷河」(29)では偽札を遣うアメリカ兵に対する日本兵の敵愾心を作者自身が肯定的に題材化しているように、無自覚にナショナリズムに取り込まれてしまう危険性も黒島の民衆主義は宿していたことも確認する必要はあるだろう。)
 今日でも、大正時代を平和な時代として、失敗した帝国主義戦争としてのシベリア干渉戦争を「シベリア出兵」という呼称で歴史記述のなかで曖昧にすることこそ、ナショナリズムによる捏造なのだといえるだろう。日露戦争-シベリア干渉戦争-日中戦争と日本の帝国主義的膨張は連続しているのである。そのことを黒島の「シベリア物」と呼ばれる反戦文学は今日の読者に教えてくれる。(なによりも「パルチザン・ウォルコフ」は、シベリア干渉戦争が先取りされたベトナム戦争であることを告発している。)黒島の反戦文学は、その連続性――所謂帝国主義的膨張に対する文学的抵抗だったといえるだろう。黒島の反戦文学は日本の帝国主義と闘ったのであり、現在でも文学によって国民の共同の記憶としての歴史を批判し続けている。
 このような黒島の反戦文学の抱える可能性と限界は、その後十分検証されたとは言えない。その後の日本の反戦文学が黒島の作品を戦争認識に於いて超えているとは思えない。新たな戦争状況に陥っている21世紀の現在、黒島の反戦文学を現在の私たちの戦争認識、反戦意識の内実を照射するために、再び検証してみる必要があるだろう。

以上です。みなさんよいお年をお迎え下さい。
PR
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事にトラックバックする:
Copyright © 試想の会のブログ All Rights Reserved
Powered by ニンジャブログ  Designed by ピンキー・ローン・ピッグ
忍者ブログ / [PR]