無事に春休みに突入しました。今年の2年生のクラスは初めての共学クラスということもあって、この年齢になって初めて体験するような苦労もあり、特に2学期は足取りが重い毎日が続きました。でも終業式の日にみんなから寄せ書きをもらい、ありがとうと言ってもらいました。(ただ、その日にクラス替えがないことがわかったのですが)生きているとたまにはいいことがあるものです。それにつけても、最近の職場の同僚はクラスをどうするかよりも、学力をどれだけあげたか、進学実績を上げることができるかということに血眼になっています。こういうことに感動している私は既に「古典的」な教員なんだろうか、と寂しい気持ちもしています。
(承前)
以上の戦争教材の問題点を整理すると、次のようになります。
① アメリカとの敵対性(アメリカの戦争犯罪)の消去
② 日本の戦争犯罪の消去
③ 戦争の歴史性(物語性)の消去
④ 軍部への責任転嫁=だまされた被害者としての国民
これらの傾向から、戦争教材の中心に語られない闇=禁忌が存在しており、それが戦争責任の問題であることは明かです。①から③までの傾向は、読者の関心が戦争責任の問題(日本のアジアへの責任と同時に、アメリカの日本への責任の問題もあります)に及ぶことを回避します。そういうなかで④のように、一点だけ軍部の横暴さだけをクローズアップさせ、戦争責任をめぐる関心をそこに集中させるわけです。
このような戦争教材を通して、たしかに戦争は二度としてはいけない、すると悲惨な目に遭うという教訓を得ることはできます。そしてこのような結果、我々戦後の日本人には次のような戦争観が共有されていったように思います。次のようにまとめてみました。
「日本人は好戦的な軍部に騙されて戦争をしてしまった。そして軍部に盲従した結果、勝てるはずもないアメリカまでを敵に回して、日本人は原爆や空襲という一般市民まで巻き込む大量の犠牲者を出してしまった。しかし民主主義国家アメリカへの敗北は、軍部に騙されていた被害者の日本人の軍国主義からの解放を意味していた。日本人が多大な被害を受けたこと自体は自業自得で仕方がないことだが、これからはアメリカから与えられた平和と民主主義を遵守し、二度と悲惨な戦争を繰り返さないようにしなければならない。」
ここにまとめた戦争観は現在ではその歪みがよく認識できます。しかし1980年代までは自然に日本人の間で共有されていたものではないかと思います。前田先生が問題にされているこのような一国主義的な戦争観は60年代後半の全共闘運動の過程で反省されつつありましたが、運動の潰滅は逆に一国主義的な戦争観の制覇をもたらしました。90年代になって歴史修正主義者たちは、日本の歴史教育での戦争観はアジアに対する加害性ばかり強調して、ひたすら日本の行った戦争を断罪することしか教えない〈自虐史観〉だと批判しました。しかし教育現場や社会において戦争責任の問題は、同じ90年代に従軍慰安婦問題が起きるまでは明るみに出されることはなかったというのが私の印象です。(もちろん良心的な先生で日本の戦争責任の問題を授業で取り上げた人もいたでしょう。しかし、やはりそれは一般的な事例ではなかったと思うのです)
したがって皮肉にも私は歴史修正主義者の言う〈自虐史観〉はやはり「買い被り」ではないかと思うのです。戦後日本の反戦平和教育には、アジアへの戦争責任への視野は失われていました。日本人が戦争をしてまずかったと反省するのはアメリカに対してだけだったのです。
しかしそれも根本的な反省ではありえませんでした。戦争責任は占領軍によって解体された軍部に押しつけて、一億総被害者となってアメリカによる救済神話をつくることで、日本人は自らの戦争責任への問いを隠蔽してしまったのでした。(しかも先進国としてのプライド=ナショナルアイデンティティーは隠微に保たれたのでした。)
それは戦後に「戦争」と言うとき、それは「太平洋戦争」(しかもほとんどが対米戦のみ)を回顧することでしかなく、日中戦争を含む十五年間の戦争をトータルに問う歴史観ではなかったことと表裏していました。
ただそれはアジアへの戦争責任のみならず、同時に原爆や空襲といった、日本の非戦闘員に対して無差別大量殺戮を実施したアメリカの戦争責任の問題ですらも問題化しなかったのです。そこには軍部にだまされて経済大国アメリカにまで戦争を仕掛けたのはバカだったのだから、こんなひどい目に遭ったのは仕方がない、自業自得だという諦念が存在していました。これは戦後、日本はアメリカによって軍国主義から解放されたという解放史観と表裏の関係にあるでしょう。だから私は戦後日本を支配した歴史認識は〈自虐史観〉ではなく〈自業自得史観〉だと思っているのです。
つまり戦後の戦争観は、他者不在の、戦争責任問題を回避したうえに構築された一国主義的な戦争観だったといえるでしょう。ですから戦争に対する反省といっても、この〈自業自得史観〉の導くところは、アメリカとの共犯関係によって築かれた平和と民主主義、経済成長――要するに安保体制によって支えられた〈戦後体制〉という現状肯定(「戦争はしないほうがいい」「今に生まれてよかった」)なのです。それはこれまでも指摘されてきたように「反戦」というより「厭戦意識」というものでした。
つまり戦後日本の教科書における戦争教材は、安保体制の枠組み(アメリカだけを向いてアジアとの対話は拒否する)に規定されていたので、現場でなされていた戦後日本の文学における反戦平和教育はそれを批判的に捉えるような普遍性を持っていたわけではないのです。
冷静に振り返れば教科書検定という国家による検閲制度の枠の中で戦争教材は選定されていたわけで、そのイデオロギー性について文学者、教育者が全くノーチェックだったことも反省する必要があるでしょう。
ですから教員がどんなに不満をもったにしても、安保体制によって規定された現状肯定の反戦教育の結果が、「戦争はよくない」「今に生まれてよかった」というステレオタイプの感想に帰着するのもやむをえなかったといえるのです。(皮肉にも「現状肯定」という政治的機能は立派に果たしていたのです。)(続く)
〔高口智史〕
普段なら外出して帰ったら必ずうがいをするんですが、1時間ぐらいの外出だったのでうがいを怠ったら、寝るときになってノドが痛くなりました。それに追い打ちをかけるように先週火曜日マラソン大会で吹きさらしの中に半日いて、体を冷やし風邪をこじらせてしまいました。腰が抜けたみたいになって二日間寝ていました。風邪は、ちょっとの油断が大事に至ります。みなさん、お気をつけください。
今年は暖冬といいながら、二月下旬になって関東の方は連日10度に届くか届かないくらいの、雨や曇りの日が続いています。天気予報を見ながら宮崎、岡山をうらやむ反面、会津の後藤さんから見れば贅沢をいうな、ということになりそうです。
ところで前回までの書きかけの「文学教育のなかの反戦平和について考える」の続きを載せたいと思います。
(承前)
問題を具体的に今日の問題である文学や教育の問題に絞って論じていきたいと思います。本来は過去の教科書に一つ一つあたるという実証的な作業が必要ですが、ここでは私の提言を理解してもらえればよいので、その時間を省略し、自分の体験と記憶を頼りに文学と反戦平和教育の問題についての反省を行っていきたいと思います。
私はこれまでに次のような作品を教材として取り上げてきました。
「俘虜記」(大岡昇平)
「野火」(大岡昇平)
「黒い雨」(井伏鱒二)
「火垂るの墓」(野坂昭如)
「祭りの場」(林京子)
「桜島」(梅崎春生)
「蘭」(竹西寛子)
「れくいえむ」(郷静子)
そしてこれらの作品の内容の傾向は、①原爆・空襲の悲惨さを問題にしたものと( 「祭りの場」「黒い雨」「火垂るの墓」「れくいえむ」)と、②国家、軍隊の抑圧性・暴力性を問題にしたもの(「俘虜記」「野火」「桜島」「蘭」)に大別できます。
ただし今、「作品」と言いましたが、これらの作品が教科書に収録される場合、分量的に制限があるためにやむをえないにせよ「火垂るの墓」「蘭」以外は全文収録ではないという問題があります。これまで余り問題にはされませんでしたが、切り取られた物語は物語全体を代表するどころか、むしろ切り取った編集者の意図の方が強く反映され、場合によってはもとの作品とまったく異なった物語になると言えます。ですから切り取られた作品は、文学作品であるよりも「教材」です。(この問題はもっと検討されてもよいと思います)
もちろん戦争教材ですから、言うまでもなくそれらの作品を教材化する編集者の側に不当に戦争像を歪めようという意図はないでしょう。それぞれが戦争の悲惨さを切実に訴えるものであることは言うまでもありません。
しかしそれでも問題にしなければならないのは、その「悲惨さ」の内実――これらの教材の表象する戦争像の問題です。このように教材を並列して振り返ると抜粋の仕方にある類似性があることが明らかになってきます。
まずこれらの教材には、①「敵」(アメリカにしても中国にしても)との戦闘場面はほとんど登場しません。上記の作品では、唯一「俘虜記」のあの有名な冒頭で若い米兵を撃つかどうか主人公が逡巡する場面に、「敵兵」の存在が語られるだけです。
②だから戦争の悲惨さと言っても、語られるのは戦闘場面ではありません。「祭りの場」「黒い雨」「火垂るの墓」「れくいえむ」などで語られるのは、空襲・原爆といった「敵」の姿の見えない戦争災害です。さらに「火垂るの墓」「れくいえむ」などはそれに付随した深刻な生活問題を語っています。「野火」「桜島」などは軍隊の抑圧性を、「蘭」は抑圧的な社会のなかでひっそり生きる庶民を語っています。
③そしてそれらは物語性よりも記録性(しかも加害性ではなく被害性)が重視されています。これは部分抜粋のためにやむを得ない部分がありますが。
④さらに何よりも題材として取り上げられる戦争の時期は、15年間あった戦争のなかでも、「太平洋戦争」の末期だけだということです。
このように教材として教科書に収録された戦争文学に表象される戦争は、「戦争」であるにもかかわらず、①のように戦闘場面が語られない、つまり交戦相手の見えない戦争ばかりです。戦争は、空襲や原爆のように市民にとってはあたかも一方的な災害のようなものとして語られ、戦争被害を伝えるにしても、空襲や原爆による被害や食糧難など国内の問題は非常に克明に語られるものの、帝国主義戦争での最も重要な戦場の問題はほとんど触れられることがないのです。「野火」や「俘虜記」のようにフィリピンの戦場が舞台となったにしても、語られるのは日本軍から離脱して戦場を彷徨する孤独な主人公の物語です。
その代わり自国の国家や軍隊の抑圧性、暴力性は「野火」「桜島」「蘭」がよく語っています。「野火」の冒頭や「桜島」では理不尽で横暴な上官が登場します。また「蘭」は戦時下で自由にモノも言えず息を潜めて生きている庶民が語られ、これらは戦時下において如何に人間の自由や尊厳が抑圧されたかを告発しています。
いずれにせよ教科書に収録される文学作品の取り上げる戦争像はある類似性――言い換えれば偏りがあるのです。「戦争」という非常に茫漠とした現象に対して、国語教材の表象する戦争像はあまりに一面的で狭隘なものなのです。
ここに多くの問題が含まれていることはいうまでもありません。(続く)
(高口智史)