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試想の会のブログです。
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  錦城学園の何人かの先生から、前田先生はもう大学の方、定年退職されるんですか、と尋ねられました。僕もつい先日まで来年だとばかり思いこんでいて、思わずメールで訊いてしまった次第です。本当に前田先生の宮崎での十年は早かったですね。たぶん先生もそう感じておられると思います。と言うか、先生が定年退職と言うこと自体、まだ信じられない感じですね。振り返ると最初にお会いしたのが、僕が大学出たての二十代前半で、先生が三十代後半の頃です。僕も今年五十ですから、ずいぶん時間だけは経ちました。

 最終講義の内容を見ると、一応ひとくぎりということで、先生のたどってこられた研究の歩みを語られていますね。「羅生門」「檸檬」「舞姫」があげられていますが、これらの作品が先生にとって如何に重要な作品だったか改めてわかります。同時にこれらの作品論を発表されたのが宮崎に赴任される直前の数年間に集中していますが、そのころこれらの作品について、学校帰りにお茶の水駅にいく途中の坂にある喫茶店で熱く語られたのを思い出しました。いつもそこで口酸っぱく言われたのが、文学研究と文学教育とは車軸の両輪で、教育で手を抜いてはいけないということでした。むしろ授業で生徒との対話を通し、作品の読みを、研究を鍛えろということでした。今回の講義の内容から、当時言われたことをずっと大学でもそのまま深められたのだなとわかります。「試想」でも、主人公中心や主人公の内面中心の読みから関係性を問う読みの問題を一貫して追究されていますが、それも高校の現場で主人公の苦悩にまったく共感しない生徒とどう向き合うかというところから出てきた問題であることは、先生の高校教師時代によく伺いました。そういう意味で、前田角藏という人物は恐ろしいほど軸のずれない立派な研究者だと思います。また高校で掴まれたことを煮詰める時間という意味だけでも、大学に赴任された十年は新しい出会いとともに大変有意義な時間だったのではないかと思います。(僕も先生がおられる間に、あと一回ぐらい宮崎に行きたかったですね)

 あんまり書いていると、「まだまだこれからなのに、俺の仕事をまとめるんじゃねえよ」と言われそうなのでやめます。東京の日文協近代部会では先生が戻られるのをみんな待っています。とりあえず一区切りということで宮崎での十年間、ご苦労様でした。東京に戻られたらまたいろいろ教えてください。そして飲んで話しましょう。
(高口)
 
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最終講義を昨日やりました。一応、こんな感じです。

  最終講義  「文学史のことなど」    国語教育講座  前田角藏
                   2010/2 /19 406  16:00ー
                                        
 【はじめに】 全共闘世代と「私」 参照 「the flag」( 作詞:小田和正)

ただ 若かったから それだけのことかな
あの頃僕らは 傷つけ合っていた

汚れなき想いと 譲れない誇りと
迷いのない心は どこへ行ったのだろう

あの時掲げた 僕らの旗だけが
今も揺れている 時の風の中で

それからの 僕らに 何があったのだろう
変わってしまったのは 僕らの方なんだ

自由な翼を 僕らは たたんで
二度と そこから 飛び立つことはなかった

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

僕らが この手で すべてを

ここから 行くべき その道は どこかと
できるなら もう一度 捜さないか
戦える僕らの武器は 今 何かと
それを見つけて ここへ並ばないか

僕は諦めない 誰か 聞いて いるか
僕は ここにいる 誰か そばにいるか

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

あの時掲げた 僕らの旗だけが
一人揺れている 時の風の中で

・研究者の世界から高校の現場へ             

 【Ⅰ】 文学教育のこと 
 ①浮浪者襲撃事件と「羅生門」
    ・「羅生門」・・・下人の心理の変化 エゴイズム ・浮浪者襲撃事件
  ・悪の問題に国語教師としてどう向かい合うか
    ・老婆の視点からテクストを読み直す試み
   
 ②登校拒否生徒、神戸少年殺人事件と梶井基次郎(1901-1932)「檸檬」
  ・主人公「私」・・・心の病    「不吉な塊」を読み直す
  
 ③文学を教えようとしたのではない 文学を通して生徒と話し合おうとした
 
 ④ 読者中心の読み 主人公中心主義の克服 私小説的読みの克服 語り手論 他者論

  【Ⅱ】 文学史のこと 
   ①森鷗外「舞姫」中心の近代日本文学史   ・・・近代的自我の覚醒と挫折・・・太田豊太郎が立身出世のためにエリスを捨てる物語・・ 〈政治=悪 恋愛=善 〉の二項対立思考の誕生   国家の問題の欠落・・・外部、他者(戦争、植民地の問題欠落)

   ②新しい文学史へ ・・・研究同人「試想」(http://shisou.michikusa.jp/
 
  【Ⅲ】授業でめざしたもの・・・・新しい作品の読みと文学史そして文学教育
  ・・〈世界でたった一つだけの授業へ〉・・・夢

  【Ⅳ】 宮崎と「私」
   ①教えられたこと・・・狭い視点から世界を見ていた・・すばらしい作家や作             品、自然との出会い
   ② すばらしい人との出会いと期待 

  ③充実した10年間に感謝   ありがとうございました  

何も動員したりしばりをかけたわけではないのに多くの学生、卒業生が参加してくれてとても感動しました。貴重な寄せ書きやお花もありがたいことでした。貴重な時間をさいてきていただいた先生方にも感謝いたします。     (前田角藏)

 3年生の最後に森鴎外「舞姫」をやりました。私の勤めている学校は3年前に共学化したばかりで、今回は共学クラスでの初めての「舞姫」でした。(あまり授業日数がなくただあらすじを追うだけの駆け足の授業でした。)最初はあまり関心なさそうにしていたのですが、豊太郎が相沢にエリスと別れると約束してしまった辺りから、耳を傾け始めた生徒が増えて、そして結末でエリスが発狂し、お腹に子供を残したまま豊太郎が帰国するくだりになると、女子の表情がみるみる硬くなっていくのがわかります。そして「ひどーい」という声が少なからずあがりました。本当ならば、ここで男子と女子と意見を訊いて討論でもさせると面白かったかもしれませんが、時間がなかったのでそれで終わらざるをえなかったのが残念でした。高校生の女子と「舞姫」をやったのははじめてだだったのですが、その予想以上に正直な反応と、こっちもちょっとたじろいでしまうほどの反応の勢いにはおどろきました。

 ところでこの教科書(教育出版)の指導書には、「舞姫」の「主題例」として「自我の確立の困難さや恋愛の不可能性を、人間の宿命として深く考えさせる作品である。」と書いてあります。そして「作品研究」の結びにはこのように記されています。「豊太郎が手記を書いたのは《失恋》の痛手を癒すためではなかった。むしろ、自らの不純さゆえに失われた純粋な《恋愛》の効果そのものであったと言えよう。何を指しても消すことのできぬ「恨み」は、欠如としてあらわになった純粋な《恋愛》の痕跡である。/《恋愛》の挫折によってのみ、《恋愛》は《恋愛》たりうる。我々は挫折によってのみ、純粋に世界と関係しうるのである。」 

 「教材のねらい」では「人間というものを存在論的に探求しようとうる姿勢の中で『舞姫』のテーマを捉え直した時、本作品はさらに切実な現実性を持って現代の生徒たちに迫ってくるのである。」とあり、この点では非常に共感と期待を持ちました。でも論文ならいっこうに構いませんが、指導書でこのような難解な文章は困ってしまいます。この指導書の執筆者は「誰しも純粋な恋愛を求めるが、それは不可能であって、恋愛の挫折によって人間は現実に目覚め、大人になっていくんだ」と言いたいのでしょうか。それならばこんな難解な表現で書く必要はないし、もしそうでないとしたら、読み取れない教員の力不足だと言われるのは仕方ありませんが、でも執筆者の意図が生徒にも伝わらないわけで、それは指導書としては問題があろうと思います。

 ところでこの執筆者を批判することが直接の目的ではありません。(もう一つ「恋愛」なんて言葉や概念の問題を、今の高校生にストレートに投げかけることにどれだけ意味があるのかという疑問もありますが)そういうことよりも、大切な問題は、この執筆者の読みの中にあの女子生徒の「ひどーい」という言葉は、どこにも入っていきようがないということです。生徒の中には、最後の相沢謙吉への「一点の恨み」についても、「なんだかんだ言ってもこいつ人に責任なすりつけているだけで、自分が優柔不断だったことが悪いんじゃん」と言った生徒もいました。しかし近年「羅生門」をはじめ「読みの多様性」なんてことが言われながら、しかしこういう素朴な倫理的批判はほとんどの指導書のなかから排除されているのです。

 以前新しい非常勤の先生を募集したときに、面接に見えた女性に同僚が「舞姫」の結末についてどう思いますか、と質問したところ、その女性は「高校のときにはエリスに同情したけど、今はエリスが弱かったので仕方ないと思う」というようなことを言われました。たとえば女性解放の視点からしたら、豊太郎こそ糾弾の対象であるはずです。そのとき彼女にとっての4年間の文学研究の意味とは何だったのかと思った記憶があります。

 このように「舞姫」を読んで、素朴に太田豊太郎がしたことはひどいと思う、という感想は、今の文学研究や文学教育のどこがきちんと受け止めてくれるのでしょう。これはブログで前田先生が芥川問題として提起されたことで、また先生が既に「羅生門」論や「舞姫」論などでも指摘されていることでもあります。私もブログで「羅生門」や「鼻」について書きましたが、このように文学のなかから政治や倫理的価値を排除するという文学研究や教育のあり方は、生徒の素朴であるけど、しかし重要な倫理的な判断を正面から受け止めよう、考えようとしないのです。文学は政治や倫理的価値では測れないものだというのはいいのですが、そのことが研究者自身に意味を持つだけで、学問や教育の現場から文学の存在意義を失わせることになっていると思います。(高口)
 

 ところで、前回の丸山評価とは矛盾したことになるのですが、今回久々に「「である」ことと「する」こと」の授業をしながら、時代が変わったなと思うことがありました。丸山の思想を語りながら、自分の歯切れの悪さに気づいたことがきっかけでした。
 ふと気づいたのは、最初の「権利の上に眠る者」という小見出しが示しているように、丸山のメッセージは自由や権利を既に獲得した者、言わば日本国憲法の恩恵の下にある日本人に向けて発せられたもので、その内部では今でも説得力を持つのですが、一歩でもそこから外れたところに立たされている在日外国人の生徒、いまだ権利や自由を保障されていない彼らにとって、丸山の主張は空疎な話にすぎないと言うことに気づいたのです。「そんなこと言っても、二十歳になっても俺たち参政権がないんだから関係ねえもん」と言われてしまえば、こっちは口をつぐむしかありません。いつそう言われるか、冷や冷やしながら授業を終えました。少数ではありながら在日外国人の生徒が共に学ぶということがごく普通の状況になってきた現在を考えると、現在かなり多くの教科書に収録されている(評論第一位だそうです)「「である」ことと「する」こと」を手放しに評価することはできないと思いました。

 「「である」ことと「する」こと」は言うまでもなく「日本の思想」に収録された文章で、1961年に発行された「日本の思想」が前年の安保・三池闘争を背景に書かれたことは明瞭です。丸山はこのメッセージを戦後最大の民主化闘争を闘った日本人に向けて発したわけで、歴史的なコンテクストを念頭に置かないと、現在の読者にはわかりにくい表現が随所に見られます。
 ところで中野敏男が『大塚久雄と丸山眞男――動員、主体、戦争責任』(青土社, 2001年) で、戦中期の丸山の論文を細かに検証し、戦中期の丸山の思想が国家の危機的状況に於いて、国家を主体的に支える近代人の必要性を啓蒙的に力説する「国民総動員の思想」であり、丸山がその出自を隠蔽し、思想構造を変化させることなく戦後にスライドしたことを痛烈に批判したことは記憶に新しいです。そういう意味で捉えると「「である」ことと「する」こと」も、60年の安保闘争という民主主義の危機に際して、戦前のような日本にならないために日本国憲法の論理を内面化した民主的〈主体〉たれ、というメッセージを発している点、その思想構造は戦時中を反復していると言えるでしょう。

 もちろん前回述べたように、丸山の思想は現在に於いても意味を持ちうるし高く評価できるのですが、同時に中野が指摘するようにその歴史的限界をしっかり押さえていかねば、今回授業で感じたように、うっかりすると暴力にも転じかねない危険性を持っているように思います。と言うのも、やはり丸山の視野に入っているのは日本国憲法の論理を共有できる〈われわれ〉であって、国家によって外部化された人々は見えていないのです。 丸山の民主主義は、中野の批判する戦時中の「国民総動員の思想」の枠組みが反省されずに戦後にスライドされた結果、国民国家のために単一の価値を共有した〈主体〉を「動員」するというナショナリズムの枠組みが温存されてしまっているのです。そのために今回のように授業で在日外国人の生徒を前にすると、その排他性が明瞭に浮かび出てしまうことになるのです。少なくとも「「である」ことと「する」こと」時点で丸山の構想していた民主主義は、異質な価値を持った人々の共生できる制度としての民主主義ではなかったと言えます。
 ところで丸山を戦後日本を代表する民主主義者として賞賛してきたこと(それが今日、教科書への収録数が最も多い評論という結果につながっているわけですが)と、戦後日本の民主主義の限界と表裏の関係にあるように思います。中野敏男の丸山批判は、戦前の天皇制国家の「臣民」が革命も経ずに戦後一転して民主主義国家の「国民」へと容易にスライドすることができた日本人の問題にも関わってくるからです。

 丸山の思想がひとつの理想として疑われることがなかったように、戦後日本の民主主義は「国民は平等」という理念を内面化した、均質な主体によって構築された民主主義だったと言えると思います。そういう意味では、1925年の普通選挙法は昭和のファシズムの呼び水にもなりましたが、中野の丸山批判同様に、構造的には戦前と戦後の民主主義の質は連続していたと考えられるのです。(もちろん戦後民主主義を全否定するつもりはありませんが。)だから日本国民は戦後すぐにアメリカによってもたらされた民主主義に対応できたし、均質な「国民」の一致団結によって、わずか四半世紀で再び世界の経済大国として復活するという奇跡が可能だったわけです。そう考えると均質な国民によって構成された――言い換えればナショナリズムを基調とした民主主義社会というものは、容易にファシズムに反転する危険性をつねに抱えているとも言えます。戦後が「輝いて」いた高度成長期やバブル経済期への今日の郷愁は、ファシズムを待望する感性と通底しているのではないでしょうか。「民主主義」が「輝いて」いたその時代、その社会は在日外国人やハンセン病者たちマイノリティーにとって、強度の排他性を持った社会であったことは忘れてはならないと思います。
 「「である」ことと「する」こと」という教材も、その「物神化」を「不断に警戒」し「現実のはたらき方を絶えず監視し批判する姿勢」が必要で――結局、丸山に戻ってくるのですが(笑)、本当に戦後日本の民主主義も一つの岐路に来ていることを実感しているところです。(結局お釈迦様の掌の内側で、ぶつくさ言っているに過ぎないのかな?)  (高口)

 


 最近、行政刷新委員会による仕分け作業が注目を浴びています。多くの国民はこの仕分け業務に初めての体験ということもあり、高い関心を持っています。何が無駄かというのは大変難しい問題で、たしかにあんなにバッサバッサやって大丈夫なのという懸念を持つ国民も多いようです。ただ、その懸念からの叫びの中で、ノーベル賞受賞者の声高な叫び、特に君たちは歴史の法廷に立つ勇気?があるのかという脅かしともとれる叫び方をされる科学者をテレビで見て、とても恐ろしく、それどころか怖くなりました。いつ頃からこの国は科学者=貴族特権階級の国になったのかと思ったくらいです。想像ですが、この方の頭の中には、自分達が国民の幸福を支えているというとてつもない慢心があると思います。賞を取ることは立派なことで尊敬しますが、こういう乱暴な発言を聞いていると失望します。国民の幸せにはみんなの人がかかわっているのであって、科学者だけがやっているわけではありません。そしてまた、科学研究に不安を持つなら、金もうけのできる研究にはどんどん予算をつけ、儲からない研究、学問は無意味な学問だとする風潮にこそ鋭い警告を発してもらいたいものです。
 
 これは朝日の声欄に応募したものです。もちろん没になりました。しかし、正直な気持ちを書いたつもりです。どうですかね。みなさん。 (前田角藏)
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