残留孤児をテーマにした NHK「遙かなる絆」が始まりました。もう二回目です。帰国した残留孤児孫玉副の娘が中国の吉林大学に留学して、父の過去を知っていくという形のドラマのようです。「大地の子」から14年もたっているのですね。
ところで、1972年、国交回復、84年、孤児支援センター設立とつづく孤児救済の事業のなかで、もう残留孤児の問題は、単に〈かわいそう〉だけではすまなくなってきているように思います。残留孤児が帰国して早い人は25年の月日がたっています。果たして帰国してきたのがよかったのか、どうか、支援は問題はないのかなど見えてきているからです。帰国者が子供を産み、育てる過程で残留孤児の問題は、思想的にも深化したのかどうか。中国では「日本鬼子」といわれ、日本では「残留孤児」といわれて、二つの国家によって引き裂かれて生きる、いきざるをえない残留孤児の人々に、果たして日本、日本人はどれほどの精神的支援をしてきたのかどうか。そしてこの点で、おおざっぱに言えば、政府も国民も、〈かわいそう〉とはいっても、それ以上の支援はしてこなかったというのが実情のようです。こまかなことはよくわかりません。しかし、残留孤児への冷たさの背後には、私たち日本人の底に流れているあの忌まわしい戦争の記憶から逃れたいという心理が働いているようです。早く処理して前に進みたいという心理です。実際、戦後の日本人は、忘れたいためにアメリカの方ばかり向いて生きてきたと思います。哲学者の鶴見俊輔氏はNHK「鶴見俊輔ーー戦後日本・人民の記憶」のなかで、安保に示された「人民の記憶」に期待しつつ、日本人は戦争のことは話していません、僕だってそうだといっています。占領時代、日本人は、あの戦争を語ることを禁止(検閲)されていましたが、日本人自身も、あの戦争のことは語るまい、語ったら罪になるという深いタブーの意識に侵犯されてきました。実際、たとえば帝国軍隊内ではかなりの自殺者があったはずですが、それも明らかにされていません。すべてふたをしてきたのです。汚いことをいえばいいとは思いません。しかし、あったことは真正面からつらいけど受け止めなければならないと思いますし、今回のドラマにそれを期待します。日本は民間人を捨てたのであり、遺骨さえ放置したままなのです。もっといえば、私たちは沖縄さえきって捨てたのです。日本の国家と国民は、こんな破廉恥さのなかにいます。これらはすべてはずかしいことです。しかし、すべてあったことです。あったことは、逃げずに、しっかりみつめなければ、信用されず、今はいいけど、中国が世界の中心になり、日本が没落したら、こういう国民を誰も助けてくれません。くれると思うのはリアリズム感ゼロに近い人です。そんなわけで、見捨てられないためにも、みつめなければならないと思います。自虐的と揶揄する発言がありますが、残念ながら自虐するほど日本人は自己を見つめ、いじめてなんかいません。この六十年間、ずっと。「靖国」一つだけとっても中国映画監督から指摘してもらうほかない哀れさのなかで生きてきました。こんな国民から早く卒業したいものです。「国家の品格」などとしゃれたこといって遊んでいる場合ではないのです。品格など明治以後日本人にはないのです。失ったのです。残念ながら。
ちょっと自虐的すぎますかね。 (2009年04月末月 前田角藏)
たまりにたまったビデオを整理していて、前からずっと気になっていた2月23日のNHKスペシャル「菜の花畑と銃弾」を再び見ました。その感想を書かせてもらいます。
この番組は、昨年8月 アフガニスタンで拉致され殺害された邦人被害者伊藤和也(31歳)さんの足跡を彼が生前記録していた五年間3000点の写真を軸に紹介した番組です。すでに承知かもしれませんが、この青年は、ペシャワール会に属してアフガニスタンで水路建設、井戸掘り、農業支援活動を展開、住民にはかなり信頼の厚かった青年です。かれの努力で不毛の大地に水が引かれ、菜種や芋が育ち、ケシ(麻薬になる)栽培しかできなかった村にも明るさがもたらされます。菜の花畑を駆けめぐる子供たちの笑顔がそれを象徴しています。しかし、アフガニスタンは今でも貧困の問題は克服されず、ゲリラ活動はなくなっていません。伊藤青年の非業の死をしって慟哭する住民の姿は、青年がどれだけ住民に深く愛されていたかを語るとともに、今のアフガンの深い闇を象徴しています。
オバマ政権はイラクからここへ戦力移動をはかろうとしていますが、戦力の増強がアフガンに平和をもたらすのか、それとも伊藤青年のような地道な農業支援活動の方が平和や幸せをもたらすのか答えは明らかだと思います。日本も無批判的にオバマ政権に追随する姿勢をとっていますがこれも情けない話です。しかし、ここでは政策批判をしようとしているわけではありません。そうではなくて、こんなすばらしい青年が日本にいるということについて考えたいのです。
伊藤青年は、「志望の動機」(2003・6・15)の一文で、アフガンに興味をもったのは9・11同時多発テロの時で、それまでは知らなかったこと、そしてそのアフガンはその後、あっという間にタリバンが制圧され、多国籍軍の支配する国家になったわけですが、この時、伊藤青年は、この「忘れ去られた国」に「農業支援」を通して「緑豊かな国に戻す」お手伝いがしたい、そしてそのお手伝いを通して「現地の人たちと一緒に成長していきたい」と考えたようです。彼は、自分は「関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまない」性格であるとも語っているからかなり思い詰めての「日本人ワーカー」希望であったのだろうと思います。それから五年、ライカを抱えた青年はアフガンの泥の中で生き、成果もだし、しかし、非業の最期を遂げたのでした。日本人の圧倒的多数の人が、一国主義的な上昇=価値、幸せ、生き甲斐とするアイデンティティの中で生きているとき、そしてそのアイデンティティが根底から奪われた青年たちが時には自暴自棄的な、とても弁護しようのない集団自殺などに自分たちを追い込んでいるまさにその時、この青年はそんな価値の枠組みを超えてはるかアフガンの土地で、自分のための上昇=出世ではなく、他の人のために働き、ともに「成長」する道を選択し、そして夢半ばで理不尽な殺害にあったのでした。たしかに、日本には、この伊藤青年のような人は多くいるし、私の近くでも多く見かけるようになりました。しかし、誇張していえば、鴎外の「舞姫」以来、日本の男たちは、一国主義的価値観のたこつぼから抜け出せず生きてきたのでした。そして、ここにいたってようやく、伊藤青年に見られるように、この「舞姫」以来からの負の壁を破ろうという動きが出始めているのです。ところが、メディアは、心の闇を抱え、不登校になり、死への連帯=〈集団自殺〉に向かう青年たちを多くとりあげることはあっても、伊藤青年のように国家の枠を超えて、国際的な、普遍的な価値の中で生きようとする脱近代日本人の魁のようなこのすばらしい青年たちは、あまり大きく取り上げません。何から何までこの国では内向きなのです。本当に伊藤青年のように民族を超えた他者のために、他者とともに生きる生き方こそ、国家は誇りとして語るべきではないかと思います。特攻隊の悲壮を語るのではなく、伊藤青年のような生き方をもっともっと誇る国家であってほしいものです。
さて、最後に、この番組では、まず、伊藤青年の実家が紹介されます。そこには、優しくて「笑顔」のステキな息子の遺影があります。父は、息子の生き方にたいして、それがたまたま死を遂げるという結末になったとしても息子の生き方に誇りを持ち、恨みも悔いも多く語りません。すべてを受け入れていられるようです。同じ年頃の子供を持つ私は、自分だったらこんな立派な親でいられるだろうか?など考えさせられます。この番組は、アフガンにどう関わるべきかの回答を暗示しているとともに、日本および日本人の近代、そして〈いま・ここ〉の自分のありようそのものを問う優れた番組であると思いました。(2009年04月 前田角藏 )
人から進められていたのにアカデミー賞をとってからみました。大変感動しました。最後は涙が止まらなかったですね。どうしてあんなに泣いたのだろう・?? 泣くことは何も恥ずかしいことではないけど。
映画は、冒頭、深い霧の中から主人公の仕事に向かう車の姿を追い、しだいにその姿が観客に鮮明になるという場面からはじまります。主人公大悟(納棺師)はふとした偶然で納棺師になり、妻にも仕事の細かなことはいわずに二ヶ月がもうたったという設定です。実は本当はチョロ奏者でプロなのですが楽団がやっていけず解散になり、こまった大悟は妻美香と実家の山形に帰ってきて、とりあえずありついだのがこの仕事だったわけです。父は喫茶店を開き、クラッシック音楽にも興味があり、チョロ奏者は父の夢でもあったはずです。ところがその父は女を作って逃げ、少年との石文の約束を反故にしました。少年は父を一方で憎みつつ、父の夢の中で生き続け、しかし、解雇にあったわけで、根底的なアイデンティティ喪失に陥ったはずです。しかし、妻の支えがあり山形に戻り、やっと納棺師の仕事にありつき、まだ、二ヶ月というところでした。生き方に確信がもてるはずがありません。そして、このアイデンティティに揺れる心の葛藤、闇が冒頭の霧の場面だったわけです。ですから冒頭の場面は、全く見事な演出であったわけです。観客はこの青年のプレヒストリーはしりません。
さて、二ヶ月後、大悟は納棺師の仕事に目覚めていきます。死者を暖かく送り出す仕事の意味をつかみ取り、失ったアイデンティティを取り戻していきます。しかし、この仕事は妻にも汚いからさわらないでといわれ、友達からも汚い職業についたとして相手にされません。この映画の唯一の難点は上にも述べたような社会的にまだまだ蔑視されている仕事にあまり葛藤もなく主人公がはいりこんでいるところです。死者への旅立ちのお手伝いという職業の意義、意味に光りが当てられすぎ、今も被っているこの職業の差別の側面へのまなざしがあるにはあるが主人公の内面の葛藤を通して描かれていない点があります。それが不満です。ただ、その弱さがありながらも死者の旅立ちに心から尽くす主人公の凛としたまっすぐな姿がその弱さを相殺しているのも事実です。納棺師の仕事の意味、意義をアピールすることで、結果としてこの仕事への差別や無知の視線と戦っているのだといえるかもしれません。
そんなこともあり、この映画で私が泣いたのは、たぶん自分を捨てた父を憎むことでしか生きられなかった主人公の心の不幸が、父の死の旅立ちに立ち会うことで解き放たれていったからだと思います。すくなくとも、最後になって父に自分は一方的に捨てられたのではないかという惨めな思いから解放され、好きだった父を確認し、許すというところが何とも哀しく切なく、たぶん泣いたのだろうと思います。石文の演出はちょつとできすぎの印象はありますが、また、女と逃げた父はどうやらすぐ女に逃げられ一人でひっそり生きていたらしいというのも、ちょつと主人公の気持ちを軽くしているにしてもやりすぎかなと思ったりしますが、それでも、誠実な主人公のイメージが大いに関わっていてそれほど違和感がありません。映画における役者の役割の大きさを改めて感じました。また、音の流れ(音楽)もすべて和解、許し、癒しへといざなう仕掛けになっていて、チョロの響きもよくマッチしていたといえるかなと思います。いい映画でした。
追伸 大悟を音大にあげた母の哀しい物語は観客の想像する領域として残されています。こういういろいろ想像させるところがあることによって名作にもなっていると思います。いい映画ありがとうございました。(2009年03月 前田角藏)
60歳になってブレークするなんてちょつとおもしろい。たしかに歌は抜群にうまいし、川の流れのようになどはひばりよりいいのではないかとおもうほど。うまいしあじがあります。僕はそれより少し年とってるけど、こんなうまい人にであったことがない。それほどすごい歌手ですね。「愛のままで」がいいし、同年配の人はみんな歌詞がいいともう夢中で、それは何か秋元順子現象といってもよいほどだ。簡単にいうと熟年夫婦応援歌という感じですね。かつて石川淳は「マルスの歌」を書き、戦争をたたえるマルスの歌声を書き留めたことがありますが、今は、この熟年愛歌が聞こえてくるようです。
「小鳥たちは何を騒ぐの 甘い果実が欲しいのですか 他人(だれ)かと比較(くら)べる幸せなんていらない あなたの視線が愛(いと)しくあれば」
「ああ この世に生まれ巡り逢う奇跡 すべての偶然があなたへとつづく そう生きてる限りときめきをなげかけて 愛が愛のままで終わるように」
「ああ生きてる意味を求めたりしない ただあなたの愛につつまれながら そうキャンドルの灯(ひ)がいつか消える時まで
愛が愛のままでつづくように」
愛の視線やことばやささやきがあればいいというのは、今はやりの女の脳の構造からかもしれず、男はそれがわからず、せっせと獲物(金、地位)を運ぼうとして、哀しいことに嫌われ、別れますといわれる、いわゆる熟年離婚の悲劇。男と女の脳の構造の差異がわかっていれば、かなりおおくの夫婦の亀裂、悲しみ、苦悩、戦いつまり多くの不毛な男と女の戦いはへったことだろうと思ったりします。実際、「ああ この世に生まれ巡り逢う奇跡 すべての偶然があなたへとつづく」と思いたいけど思えなかったつらい日々など過ごした人も多いと思いますが、こんなせつないことももしかするとなかったかもしれません。
しかし、熟年夫婦の幸せって、男と女が二人だけの愛の視線やことばやささやきで自分の身辺を満たすことで自足するものでしょうか。もうこの歳になるとそんなことを考えます。それでは二人がかぎりなく社会から自閉していくことでしかないのではないか。情緒的ではなく真正面から考えると孤独死の道のような気がしてぞっとします。元気な時はいいんですがね。もちろん、熟年の男と女が二人だけの愛の視線やことばやささやきで生活空間を満たしてはいけないと思っているわけでもありません。共通の趣味などを持ちもっともっと愛を深めた方がいいと思っています。しかし、最終的に二人だけの単独的な閉じられた関係が果たして幸福といえるのかに疑問符があります。男も女も多様な人間関係の中に生きてこそ豊かなのではないか。夫婦の堅い愛を大切にしながらも、それを超えた多様、多層な人間関係、そのネットワークを作らなければこれからの高齢者社会を迎えることはできないのではないかと考えるからです。愛に特化しない関係の豊かさはそれこそ無限にありそうなきがします。男女の愛は数多くある幸せ、豊かさの大きなものだけど、それがなければ人生不幸かというとそれは違うようにも思えるのです。ところが、こう何か多様多層な人間関係というとすぐ不倫な関係を想像してしまうところがありますが、それはこれからの世の中ではなじまないのではないか、そういう意味では男も女ももっともっとお互いを信じることが必要で、だだ自分だけを向いていてというのはわがままでしかないのではないかと思います。自己中心的な愛の時代はとっくに終わっているような気がします。男も女も、二人に閉じるのではなく、もう少しいろいろな人との交流へと開いていく必要がありそうです。
秋元順子現象の中にちょつとそんな感じがするのは僕のひがみなのかな。どうもお粗末でした。(2009年03月 前田角藏)
ゲバラの映画を観ました。一部ですが、二部は31日に封切りです。ゲリラ活動中のゲバラが神格化されず、いわばありのまま描かれているところがおもしろいと思いました。27歳の革命に生きるゲバラと、国連で演説するゲバラとの二つの時間が流れ、なかなか時間構成も複雑でおもしろい映画でした。
次に、チェ・ゲバラに関する第二部の 映画「チェ 39歳 別れの手紙」をみました。その印象記です。
峡谷でのゲリラ戦の場面は迫力がありました。銃殺されたゲバラの遺体がヘリコプターにくくりつけられて運ばれていく非人間的な映像に監督の銃殺した政権への怒りを感じました。ところで、ゲバラはなぜ敗北したのか・・?ゲバラの武闘路線が平和共存路線に転換した当時のソ連共産主義と対立し、その影響下にあったボリビア共産党とも対立することで、孤立していったとしても不思議ではありませんが、それだけでしようか。よく民衆に支持されなかったからという意見をききますが、それも結果論で、僕は、キューバ革命を学習したアメリカをはじめとする政権側の徹底したゲリラ対策が功を奏したのだと思います。その対策マニュアルの一つとして、ゲバラの名前を徹底して隠しました。銃殺してからは全く逆でしたが。ゲバラ神話による革命の高揚を防ぐためでした。こうしたマニュアルは今でも形を変えてあるのでしよう。ああ、なんかくらいですね。そんなことよりも、「モーターサイクル・ダイアリーズ」をみればわかるようにゲバラには不幸な人、貧しい人への限りない優しさがあり、その心には敗北はないということですね。 (2009年01月 前田角藏)